お能でウフフ


お能でウフフ  序の巻


  こんにちは。このたび、自分の軽口からこの県大学園新聞の一隅を汚すこととなってしまいました。もしみなさまが「これからも読んでいいよ」と言って下すったら、新聞のおえらがたも「書いていいよ」と言って下さるでしょう。そうなると私は調子にのることと思いますが。この新聞はしっかりしておりまして、私の文など場違いのようですが、よいではありませんか、一つや二つや三つくらい。
  しかし、「なんでお能なんだ」とお思いになられたでしょうね。さては能楽部のまわし者だな……と勘ぐられた方。それはあながち嘘とも申せませぬ。でも、それだけではありませんよ。この滋賀県立大学でお能を語るのは、たいそう意義のあることなのですよ。
  それはどういうことかと申しますと。我等が県立大の建つ八坂は彦根市にありますね。彦根の目玉商品といえば何といっても赤かぶらと国宝彦根城。赤かぶらは全国的と言えないのがちと残念ですが。で、彦根城は言わずと知れた井伊さんちのお城。この井伊さんは関ケ原で頑張って家康にごほうびとしてこの地を与えられた直正さんから幕末まで十四人の殿様がおられたのですが、お能好きの一族だったようなのです。
  みなさん、入学式のとき、お城と博物館にただで入れるチケットをもらいましたね、行かれましたか? あの博物館を見ていただくと井伊さんちがどれだけお能好きだったかよく分かります。あすこには能舞台までありますからね。なかなか工夫をこらした作りで、まあこの辺のことについてはうちの学校にはその筋の方々がおられますし鼻先で笑われるのもいやなので書きませんけれども、「日本三大名舞台」の一つと言われていたそうです。残念ながら見逃している方は、新一回生が今年もこういう素敵な券をもらってたら先輩づらしてうばっちゃえ。いじめちゃだめだけどさ。むだになるならそのほうがいいや。
  長くなりましたが、こういう訳でここ彦根は昔からお能とつながりがあったのですね。ほら。なんだか興味がわいてきませんか? うちの学校の能楽部は大胆にも井伊さんちの後を勝手にうけついで、彦根でお能を華々しく復活させようではないか、とたくらんでいるようです。あの能舞台でお能をしようという野望も持っているらしいです。まったくおのれを知らぬとはおそろしいもので……。
  で、ここまで読んでくださりつつも「お能ってよくわからん」と思っておられる方もいますよね。そうですよね。いまどきの人の大半がそうではないかと思います。“お面つけてうごく暗くて眠いやつ”――私の認識もそれに毛が生えた程度のものでしたもの。狂言や歌舞伎の方がとっつきやすいですしね。狂言は意味がわかるうえにおもしろい。歌舞伎は派手でかっこよい。でも、お能だって知ってみれば素敵なものに違いないのです。でなきゃこんなに長く続いているわけないですよね。
  そう。このコーナーの主旨は、みんなでお能を知っていってみようよ、というところにあるのです。私も、これを書きつつ勉強していこうと思っております。勉強といっても堅苦しいのは嫌いなので、たくさんあるお話の内容を紹介していこうかな、と今のところ思っております。お話の筋がわかってたら、セリフがききとれなくても、ぐっと見やすいのではないかしら。ね?
  なんてこった。もうそろそろ終わらねばなりません。お能とはそもそも何ぞや、という話もしていないのに。これだから私はいけない。ま、今回は導入部ということでかんべんして下さいな。次回からまともな、読みごたえのあるものにします。
  それではまたね。ウフフ。

県大学園新聞 第四号(一九九六年四月十日発行)



お能でウフフ  一の巻


  やあ。また会えたね。うれしいよ。前回は失礼したね。これからはもうちとばかし頑張って書くからさ、寛大な心で見守ってくれたまえ。
  それでは、前回お話できなかった「そもそもお能とは何ぞや」というところから参りましょうか。
  お能がいわゆる古典芸能の一つだということは知ってるね? それすら知らないおたんちんは指くわえて黙って読んでなさい。
  ではでは。古典芸能と申しましてもいろいろとございますが、能は劇の一つですな。能舞台という能専用の劇場がありまして、そこでするのが本来の形ですね。劇というからには、演ずる人がおりますわけでして、あのお面をかぶって動いている人はおおむね主人公です。(主人公でもつけてないときや、脇役さんでもつけてることもありますけどもさ。)お面をつける、ということは仮面劇ということですな。
  お能の完全な形というのは、役者さん達だけでは出来あがりません。その他に曲を演奏してくれる人、お手伝いしてくれる人、謡ってくれる人達がいます。そういうみんなが舞台の上にいるのがすごいところです。それらのみなさんも出演者なのであって、裏方さんではないのですね。曲にしても効果音なんてもんじゃないですし。この豪華さは、日本版オペラというところですか。もちろん役者さん達も謡いますし舞いますし……あれ? 歌って踊ればミュージカルですな。なんてかっちょよい!
  まとめてみましょう。お能とは劇。それも仮面劇。劇の中身は“地謡”といわれる人々が謡い、語りながら進行します。(コーラス隊だね、ユニゾンの。)舞台後方には音楽隊がいて(太鼓・大鼓・小鼓・笛)、演奏してるところも見せてくれちゃいます。これがうれしいのさ。生演奏で歌って演じるというのはオペラと同じですね。で、役者さんは自分の気持ちを謡うだけでなく舞でも表現しますので、ミュージカルに通ずるものもある、と。……なんかものすごくない? ほら、見てみたくなったでしょー。
  さて。能がどんなものだか朧気に解ってもらえたことにして、さくさく先に進みましょう。次に予想される謎は、「お能はいつ頃、どんな風にして始まったのかしらん」ってなとこですか。これは難しいね。興味のある人は自分で調べてください。それが勉強というものでさぁ。なんていうと、この新聞からおろされかねないんで、向学心のある人にはヒントになるようなことを少し書いておきましょうかね。
  お能には元になった芸があります。それは猿楽です。じゃ、猿楽って何? と。それも難しいでげすな。ごく簡単に申しましょう。猿楽っていうのは中国から伝わった散楽や、日本に昔からある歌と舞や物まねに、曲芸・奇術まである何でもありのすてきなやつですわ。これが田楽などの影響を受けて、今のお能のもとになったんだけど、その中でもまじめな美しい舞と歌はお能に、セリフ・物まね中心のおもしろおかしいのが狂言になっていったのですって。
  で、田楽とは何か、と。それは田んぼの楽しみ。田植えを儀礼的にして神様に喜んでもらったり、豊作を願ってお米作りのはじめから終わりまでをまねして遊んだり、曲芸みたいなのが得意な田楽法師が太鼓や笛で楽しく踊ったりしたものですわ。
  次はいつ頃、ということになりますね。猿楽で創始者と目されてるお人は、なんと秦河勝さんなんですとさ。聖徳太子さんのお友達です。まぁ。で、お能を今あるような素敵なもの(その前が素敵じゃなかったっていうつもりはないのですが)にしあげて下すったのは、これはみなさん御存知ですね。観阿弥・世阿弥親子です。父ちゃんの観阿弥さんが生まれたのは一三三三年、鎌倉幕府滅亡の年みたいですよ。ですから、親子活躍の時期は室町時代の初期ですか。ずいぶんこれも昔だねぇ。興味のある人は世阿弥さんの書きなすった『風姿花伝』読んで下さいな。
  さ、今回はこのくらいにしときますか。ですが、お別れ前にもうちとばかし書きますね。
  お能を県大で語ることの意義については前にも書きましたね? ですがまた書きます。「何でお能なのさ」と思ってる人がまだいるかもしれないからさ、ってわけでもないのですが。嬉しいことはみんなに教えてあげたいからね。
  世阿弥さんのすごいことは、もう何となく解ってくれてるね? 彼は優れた脚本化・演出家、そして役者だったからこういう偉大なことを成し得たわけだけど、彼だって唐突にこの世に出てもうお能を舞えたわけじゃない。いろいろとお手本になったり影響を与えてくれたりした人がいたんだね。そのようなお人の中に、犬王さんという方がおられます。
  犬王さんは近江人。比叡座のスターで、近江猿楽の風情・情緒にあふれる舞の名手だったのですって。他の国では物まねするほうに一生懸命だったらしいですから、特に犬王さんの洗練された優雅な舞が世阿弥さんを感心させ、今に到る幽玄の美の世界を残してくれたんですね。犬王さん、ありがとう。
  ついでに説明。室町時代初期の近江には、猿楽座が六つありました。犬王さんの比叡座(大津市坂本)、山階座、下坂座(ふたつとも長浜市)、敏満寺座(多賀町)、大森座(蒲生町)、酒人座(水口町)ですって。はやってたのね。近所に住んでる人は今もその名残があるかどうかうろついてみると楽しいかも。なんかいいもの見つけたらどうぞ私にも教えてたも。
  長くなりましたね。今回はこれまで。次回は『竹生島』のお話紹介を予定しています。
  それではまたね、ウフフ。

県大学園新聞 第五号 (一九九六年七月十二日発行)




お能でウフフ  二の巻 「竹生島・松」


  いやはや。このウフフな企画ももう三度目になるのですな。ごく一部で好評を博しているとの噂がありますが、その割には当人にあまり称賛の声が届かないぜ。豚もおだてりゃ木に登るっていうじゃんかさ。ま、みんなが読んで「へえ」とちと思ってくれたりなぞしたら私は幸せなのさ。
  さて。約束は守るためにないと困りますんで、守ろうと思います。今回は予告通り『竹生島』のお話紹介しますね。やったね。

  さてさて竹生島。御存知ですかな。一回生でももう滋賀県に着て半年以上になるんだから知っていてもらわないとちと困りますな。日本一大きな湖、近つ淡海に浮かぶひょっこりひょうたん島がそうです。犬上川橋のまん前にあるやつ、あれは違いますぜ。あれは多景島。竹生島はもっと北にあります。犬上川橋からも、南の方からなら見えてますよ、遠くに。お天気のよい日に見てみてくださいな。かわいいよ。
  では、その竹生島とはいかなるところなのか。島の名そのものがお話のタイトルになっておりますところから考えてみましょう。
  その一。そこで血湧き肉踊る素晴らしいドラマが繰り広げられる。その二。その島そのものがとっても有名で、名を聞いただけで色々なことが想起される。
  うーん、他にも考えられるかもしれないけど私のおつむがここまでにしようといってますのでそうします。で、私はこの二つだと後者の要素が強いと思うのですね。お話も面白いんだけど、まぁはっきり言ってお能の世界にはよくあるたぐいのものですし。そういうわけなのではなはだ強引ですが、竹生島そのものの紹介もいっぱいしたいと思います。
  竹生島へはお舟で行けます。彦根港からも行けます。では、みんな何をしに行ってるのでしょう。私も行きましたけどね。
  あすこは聖地なのですな。これ、とても大事なことです。赤線を引いて下さい。竹生島は人は住んでません(たぶん)が、神さまや仏さまがおられるので、みんな会いに行くのですね。ここに素敵な神さまや仏様がおられることはうんと昔から有名でしたので、みんなもずいぶん前から通ってたんですよ。
  ここの神さまたちの中でとりわけ有名なのが弁才天さんです。だって、三大弁才天さんのうちの一人なんですもの。すごいでしょう。(あとの二人は広島県厳島と神奈川県江の島にそれぞれおられますのさ。)弁才天さんは弁財天さんと書かれることもあります。即物的で私はイヤなのですが、その字のとおり、お金の問題を解決して下さいます。お金のあんまりない人や、さらに一層欲しい奴はたのんでみてね。また“才”の字では、才能があらわされてます。そう。才能をひき出してくれちゃうのです。中でも得意分野は音楽とみたね。だってご自分でもよく琵琶を弾いてらっしゃいますもの。(注・二本腕の方のみですよ。)ですから、バンドでギターやベースなぞなさってる人、オーケストラで弦楽器をなさってる人、それに三味線好きのあなたには見逃せないお方ですね。弁才天さんと仲良しになっておくときっといいことあります。弦の仲間ってことで話もはずみましょう。
  みなさんには“弁天さん”といった方がなじみ深かったかしらん。七福神の紅一点ですしね。弁天小僧は弁天さんのファンですな、おそらく。観月ありさはかわいいね。

  で、こういう素敵な弁天さんのおうちが竹生島の宝厳寺にあるのです。この宝厳寺は西国三十三ヶ所の三十番目の札所です。すごいね。近江では他に石山寺や長命寺が選ばれてます。三十三ヶ所は観音霊場なので、ここには千手観音さんがおられますけど、そのお方よりも弁天さんの方がずっと有名ですわ。
  その弁天さんですが。ほんとは美人なのだと思います。そう思う方が気持ちいいもの。私は美人好きですし。ですが、竹生島に行くと驚きますぜ。「きょえっ」どうしたらいいのかわからなくなるぐらいインパクトのある弁天さんが何人もおられます。美の基準は時代とともに移り変わるといいますが、それにしてもさ……と思ってしまいます。その一方、私の顔が美人とされる時代もそれかこれから来るかもしれないじゃんか、と勇気が出てきますね。はっ。こうして弁天さんは身を呈して俗物どもに力を与えてくれておるのじゃな。ありがたいものです。こうして人は一つずつ賢くなります(ほんとかよ)。
  この弁天さんに驚かされるのはその容貌だけではありません。なんと鳥居つきの冠をかぶっていて、その鳥居の向こうには小さなおやじの顔があるのです。どういうことなんだ! フフフ、詳しいことは教えてあげませんよ、ここではね。本題じゃないのでね。
  そうそう、竹生島のことでした。竹生島はなにゆえ竹生島なのか。遠くから見ている感じじゃそんなに竹ばっかり生えてるようには見えませんでしょ。竹生島のことをしりたくば『竹生嶋縁起』を読め。そうなるんでしょうな、やっぱりさ。
  おっと。たいした中身も書いてないのにもういっぱい書いてしもた。というわけで続きは次回。竹生島の名前の由来と歴史、お話からいきましょう。今回のタイトルは「竹生島・松」。あと竹と梅の二回もあればいくら私でも本題へたどりつくわいな。
  ほなさいなら。いつもこんな無駄話ですまぬ。しかし世の中、無用の用とかいうものも存在してるはずなので、これこそがそれだと信じつつ筆を置きますわ、ウフフ。

県大学園新聞 第六号 (一九九六年十二月十三日発行)




お能でウフフ  三の巻


  なんと。今回はたったの八〇〇字しか与えられておらんのじゃ。私にとっては少ない方がむごいのですじゃ。きゅう。
  竹生島の続きを書く約束でしたがおさまらなかったんで、今回はちと趣向を変えます。
  ふむ。今までこの“ウフフ”を読んで「お能もいいかも」と思ってくれた人、いるかしら。「いいかもしんないけどやっぱり…」といささかのためらいを見せている人。そういう人の背中を私は押してしまいたいね。
  お能は眠いし、じっと見ていらんないもん、と思ってる人は多いでしょうな。私も眠いよ。寝る子は育つのさ、そういう人は寝てしまえ。寝たきゃ、スカッと寝た方がよろしい。だいたいさ、お能ってのは前半はとろとろしてて眠いのさ。そこで我慢に我慢を重ねていると、カクッと眠ってしまうんだね。我慢してたぶん、眠りは深くなってる。それで後半のスピーディーかつパワフルな舞を見逃しちまうってえ寸法だ。そいつはもったいないぜ。
  初心者は華やかなとこのほうがとっつきやすいと思うのね。だから、お能がはじまって眠いな、と思ったらさっさとウトウトしちゃってよ。謡やお囃子につつまれて寝るなんて素敵じゃないか。で。浅く眠っておいてお囃子や拍子が騒がしくなってきたな、と思ったら目を開けてごらん。「お能ってこんなに速く動くのか!」ってびっくりするよ。この展開、これが序破急、ってやつですかね。
  構えて見ることはないと思うのさ。お能ってば足利さんに気に入られて以来、お武家さんのたしなみになっていったからねぇ。例えば秀吉がうれしがって舞ってたらみんな「ははー」って見るじゃんか。そんなこんなで、他の芸能とは違うのよ、となっちまったのではないかと思うのだけど。だからみんなはそんなこと気にしてちゃだめなのだ。ウフフ。

県大学園新聞 第七号(一九九七年四月十日発行)




お能でウフフ  四の巻 「竹生島・竹」


  久しいのう。新聞社さんが頑張って発行してくれんことにはあちきと皆の衆との語らいの場がとぎれとぎれにしか持てぬではないか。といいつつ常に原稿を遅うして迷惑かけておるのじゃが。
  はい。というわけでウフフの時間。今回は竹生島伝説だ。これを昔の人は常識のように知っていた(と思う)んで、それをふまえて書かれたであろう『竹生島』の謡曲の内容紹介に行く前に、今の人にも竹生島誕生秘話を知っておいてもらわんことにはね。参考文献は『竹生嶋縁起』。
  といきたいのじゃが、向学心はあれどいまだ知識がそれにおいついておらぬ諸君の中には『竹生嶋縁起』っちゃあなんぞなもし、と思うちょる者もおるであろうて。そこで庶民に優しい私はそこから語ってしんぜよう。「もう知っちょうとばい」と思いよらす人はとばして読みゃあよか。
  竹生島というのは神と仏のおわします所だ、聖地だとは前々回(竹生島・松の回)に書いたわな。赤線も引かしたわな。それで、縁起というのはそういう寺社・仏閣にまつわる伝説や御利益の由来を書いたものなのだ。人は古いものをなんだかありがたがるね。だから由来は古いにこしたことはない。でっちあげることもできるけど。書かれた時点そのものが古いと、はっきりしておってよろしいのじゃが。『竹生嶋縁起』は人皇七代孝霊天皇の御代のお話からスタートしているもので、応永年間(十四世紀末〜十五世紀初)には書かれていたという文書ですぜ。
  「おっ、茶柱が立ったねぇ。こいつは正月早々縁起がいいや」なんてな言いまわしを知りませんかね。この“縁起”も同じさ。由来とか伝承、言い伝えがよいとうれしいのさ。そんなわけで『竹生嶋縁起』もなかなかおもしろいものになっている。滋賀県民にとっては昔から語り伝えられてきた、人口に膾炙した話かもしれないが私をはじめとする心だけ滋賀県民の焼きビーフンもおおいでしょうからな。まあ、紹介しといたほうがよかろうて。
  さて。孝霊天皇の頃のことじゃったげな。この豊葦原水穂の国のちょうど真ん中あたりに位置する“あはうみ”(淡海)のそばへ三人の神の子が降りてきた。どこからって? それは高天原でしょうな。三人の名は気吹雄命(けふけおのみこと)坂田姫命(さかたひめのみこと)浅井姫命(あさいひめのみこと)で、兄妹じゃった。みんなあはうみの東側へ降りた。そして坂田ちゃんは今の坂田郡のあたり、気吹雄くんは伊吹山のあたり、浅井ちゃんはもう少し北のあたりを選んだ。」
  三人の神の子はどうも人の目には“山”に見える形をとったらしい。そして気吹雄くんは浅井ちゃんとけんかした……とだけ縁起にはある。そして浅井ちゃんが負けた、と。そのあたりは昔話の方が詳しくて面白い。二人は仲のよい兄妹で、背くらべをよくしてあそんでいた。「俺の方が高いぞ」「いやん、あたしだってもっと大きくなるもん」「ハハハ」「ホホホ」しかし悲劇の幕は切っておとされた。そう。女の子の成長のスピードが男の子をうわまわる、というのはいつの時代にもあるもんだ。それが浅井ちゃんの身にもおこったとみたね。ある晩、寝てるうちにグググと背が伸びたのだ。次の朝起きて気吹雄くんは驚いたね。あのチビの浅井が俺よりもぐっと大きくなってやがる!
  神さまというのはなかなか気性が荒くていらっしゃる。第一波の驚きが去った後、気吹雄くんを襲った第二波は怒りだった。怒髪天をついた気吹雄くんは浅井ちゃんの首をはねた。ギラリ。バスッ。ぽ―――――――――ん。さわやかな朝の光をあびて無数のきらめきをつくりながら天高く舞い上がる首ちょんぱの浅井ちゃん。その首は少し西へとび、あはうみの北の端へ落っこちていった。ぽちょん。あわれ、浅井ちゃんの生命やいかに?
  これ以上じらせないので言っちまいますが賢明な読者諸氏はもうおわかりですな? この湖中に落ちた(縁起ではただそこに行った、とある)浅井ちゃんが竹生島なのだね。気吹雄くんは伊吹山。確かにあたりの誰よりも背が高い。浅井ちゃんが正体である竹生島はそれ以後、人に知られるようになるんだね。この神様は強くて、お願いしたらいくさにも勝たせてくれるし御利益あるよ、って。浅井ちゃんだけでなく、島のまわりをぐるぐるまわる海龍こと大鯰も。(鯰さんは難波の人食い大蛇をやっつけたのよ。)そしてついに弁天さんも現れて「これからあたしがこの島守ってあげる」って言ってくれたのよ。うれしいねぇ。弁天さんは水が好きでね、水好き仲間の蛇に慕われてるの。それでいくさにも強いのだ。竹生島がお気に召したのも無理はないねぇ。
  では今回の締めくくりは琵琶湖の話。この近つ淡海と琵琶を結びつけた最初の文献はこの『竹生嶋縁起』が最初のものなのさ、今のところ。“湖海()琵琶形也”ってね。弁天さんが琵琶弾きだったってことは前に言いましたっけね。空を飛んでたら大きな琵琶が見えたんで吸いよせられるように来たのかも! そしてそんな弁天さんは後に平家の武将にして類まれなる琵琶の名手、平経正くんも吸いよせるのだね。彼の話も謡曲になってますぜ。ちなみに経正くんは敦盛くんのお兄ちゃんです。
「人間五十年下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなりひとたび生をうけ滅せぬもののあるべきか」
で有名な。でも、このフレーズは能のものではないんだなあ。幸若舞なんだよ。謡曲にも『敦盛』はあるけど違うものなの。ああややこしい…といったところで本日は店じまい。
  島の名の由来が書けなかったけど、それはまた次の折にね、ウフフ。

県大学園新聞 第八号(一九九七年五月三十日発行)



能でウフフ  五の巻 「竹生島・梅」


  時は醍醐帝の御代。天皇に仕える二人が都から旅にでた。鳰の海を舟に乗って竹生島へ。霊験あらたかな弁才天のおわします竹生島に。
  ―――へい。暑くなってきよりましたな、今年も。いやあ、めでたい。何がって? そりゃとうとうお話紹介までこぎつけたことですがな。これもひとえに私の頑張りの賜物なのだな。

  都人が湖畔に着くとうまい具合に向こうから舟が。漁師の老人と海女の娘が乗っている。都人は頼みこみ、竹生島まで乗せていってもらえることになった。
  ―――あの世、つまり極楽浄土のことを「彼岸」、この世を「此岸」と言いますな。つまり水(三途の川)で隔てられてるのさ。そこへ仏様は「こっちへおいでよ」と舟を出してくれる。その舟に、都人はおじいちゃんの舟を見たてたのね。うまいこと言うよね。こりゃ断れないぜ。それとだな、「琵琶湖は海じゃねーだろ」と思ってる人に言っといちゃあ。昔は水のいっぱいたたえられてたところを「うみ」と言ってたの。塩分には関係なくね。

  「嶋の樹々が湖につつってる。泳いでるお魚が木をのぼってるみたいだね。月も水にうつってる。ほら、兎さんも波間を走るよ」
  島に着くと老人は案内をかって出、都人とともに上陸した。娘もついてくる。それに都人は異議を唱える。「聖域ゆえ女人禁制ではないのか」
  ―――ひどい話さ、女人禁制。ぷう。差別じゃんか。きぃー。ここで詳しく言い出すと新聞まるごと乗っ取らねばならんのでやめとくぜ。
  万物を等しく救うはずの宗教ですが結構理不尽なんだな。ま、人のつくったもんだしそんなもんかな。

  者知らずの都人に老人は優しく語ってきかせる。この島の本地、阿弥陀如来の四十八願のうちに「女人往生」も含まれていることを。そこで娘が言う。「そんなこむずかしいこと持ち出さなくてもさ、弁天さんが女の子なんだもの。女の子を追い出すわけないじゃんか」
  ―――いろいろ仏教用語が出ちゃいましたな。簡単に説明しときましょ。本地というのは正体のこと。阿弥陀さんは変身できるのだ。四十八願ってのは阿弥陀さんのたてた四十八個の誓いのこと。これでわかっといてよ。

  さらに娘は言う。「あたしは人間じゃないのよ」そして御殿に入っていった。老人は湖面に立ち「わしはこの海の主じゃ」と言い残して水中に姿を消した。
御殿が揺れ出した。中からは太陽のような輝きが。そこから現れたのは…「ちょいとおきき。この島に住んで神様を敬い、国を守ってる弁才天とはあたいのことよっ」
  ―――この展開、お能の世界は大好きなの。脇役が出会った人が実は○○だった、というやつ。○○はこの『竹生島』のように神様や仏様のこともあれば幽霊のことも。ん? ワンパターンですとな? やかましい! ちょこざいなこわっぱめが! 形式美ということを知らんのか、きさま。表へ出ろ! そして琵琶湖で泳ごう。

  どこからともなく音楽が。花びらも舞い降りる。弁才天が優雅に舞う。湖水からは龍神も現れ、勇壮な舞を見せる。そして二神はそれぞれの居場所へ戻っていくのだった。
  ―――ああ、日本は平和だ。というわけで『竹生島』のお話はおしまいなのさ。ずっと待たせてたわりにつまんなかったって? ま、お能ってのは舞と謡が重要なんで、話の筋は重視してないからさ(たぶん)。でも、見るには筋が頭に入ってた方が楽だもん、本物見てよ。
  今回で竹生島とはお別れです。興味、ちと持ってくれたかね? さ、次からは何書こうかね、ウフフ。


竹生島の名の由来
一.浅井ちゃん着水の後、海中より出づる「都布都布」という音から“都布失嶋”
二.浅井ちゃんが鳥たちに命じて草木の種をまかせたところ、まず竹が生えた。
三.行基さんが竹の杖を地に立てて「ここで仏教が栄えるなら、竹よ大きくなれ」と。
        もちろん大きくなったよ。
四.ここに泊まった舟人には知弁がついた。そこで“智就島”
五.ここの神様は知恵と富貴をさずけてくれるから“智福島”


県大学園新聞 第九号(一九九七年七月十一日)




お能でウフフ  六の巻 「能面・松」


  お元気ですね? もう巷はすっかり秋。皆さんおいしいものを食べてます?
  さて、前回竹生島紹介も無事終了の運びとなりまして、新たな題材に変わるのですが、お能を語るにあたっては避けて通れない問題がありまして。そう。それは能面。でも避けられるのなら避けたかったのだね。なぜかですと? そりゃ難しいからじゃんか! でもだからこそ一般庶民は素朴な疑問を持つわけだし、何といっても能面は文字通り能楽の顔なのだからして。伝道者たらんとするあたくしとしましては、やっぱり、ね。人生逃げてちゃだめなのよ。
  さ、一般庶民が持つ疑問の多くは「何で能面て無表情なのさ」というもんではないかな。だからお能って眠いのよ、と。ね。違う? じゃ、まず言わせてもらうかな。「能面は無表情じゃないぞ」
  しかし、世間様はそう見ないね、哀しいことに。能面といや無表情の代名詞であるかの如き使われよう。ひどいもんよ。でも、みんなには本当のことを知ってもらいたい。能面にはいろいろな種類があるんですぜ。にこにこ幸せ運ぶ“翁”や、女の怒り・悲しみの極限の姿“般若”、目を見開き口もパックリ開けてすっとんきょうな“飛出”、ムムムと力をこめて口をへの字にひんまげた“ベシミ”……その数なんと百以上! おどろいてよ。さ、固定観念なんざ脱ぎ捨ててビワコオオナマズに食べてもらいましょう。
  ん? ごまかすな、ですと? 左様。ごまかしましたよ、あたしゃ。みんなが無表情だと言ってるのは、能面といえば誰もがまず思いうかべる“小面”のような女の人の面のことでしょうな。分かってますともね。確かにありゃあ何考えてんのかわかんない顔しとりますですな、一見。
  でもよく見てみてよ。唇はほんのり開いてて何か言いたげだし、目もと、鼻、眉だってお面によって違うのよ。人が彫ったものだもんね。無表情なんて決めつけちゃうのは愛が足りない証拠。
  そんな能も見たことないし関心もないのに愛なんざ持ててたまるけー、といわれりゃそれまた道理。じゃ、頭で考えてみましょうぜ。ホモ・サピエンスの誇る偉大なる脳みそを働かせてさ。
  お能っていうのはね、劇なんだわ。それはもうこのウフフの読者なら知っててくれてるね? そしてね、一つのお話の上演には一時間以上かかっちゃうの。(そりゃ三十分とかのもあるけどその分、二時間以上かかるお話もあるしね。)もちろん出ずっぱりじゃないけど。でも舞台の上にかなりの時間いて、そこで悲しんだり泣いたりちょっと嬉しくなったりうっとりしたり昔のことを思ったり怒ったりと様々に変わるわけですわ。人の心ですからね。それが、だ。明らかに「オイラ怒ったぞー」もしくは「ウヒャヒャヒャヒャ」なんて顔だと演じにくいじゃんか。ね?
  先程無表情じゃない能面をいくつかあげましたがね、ああいう表情のはっきりしたやつは人間じゃないのさ。恵をもたらす神様や、かつては人間だったけど鬼と化してしまったもの……そして、いわゆる「無表情」な面は、人として喜び、怒り、悲しみ、楽しむ……情緒の様々に変わる人々のものが多いのよ。
  そう。賢明なるあなたならばそろそろお気付きですな。あの無表情は、無限の表情を生み出すためにたどりついた表情なのよ。ばばーん。無表情の“無”は無限の“無”と考えたらいいのだね!(奥が深い! と自画自賛。)
  能面は写真で見ても陳列棚で見てもただの面。ところが役者さんが演じるとありゃ不思議。心もち顔を上へ向けるとうれしそうだし、下を向くと憂いに沈んでるみたい。キッと向きを変えると怒ったように見えるではないですか。はーっ。これが六百年以上続いた芸の力か。
  今回はちといつもと違って「お能でウフフ」の名にふさわしかったかもカモ鴨なんばん。だって今まではねぇ。というわけで(ってどういうわけかね)もうそういうところに足つっこんじゃったんで、みんなもついて来てよ。あと二回、能面については話する予定だから。大丈夫。そんなに難しいことは言わないよ、っていうより言えないもの。じゃね、ウフフ。

県大学園新聞 第一〇号(一九九七年十一月二十八日)




お能でウフフ  七の巻 「能面・竹」


  文句なしに春がやって来たといえるね。桜も咲いてさ、日本人はそれだけでうれしくなれるってぇもんだ。あたしは梅が咲いた時点ですでにうれしくなっておったがね。気が早いのだな。というか年中うかれておる、というのが正しい。ともあれ、新入生諸君にはようこそ県大へ、と言うておこう。
  さて、前回は能面の表情について話したね。今回はお面の歴史に触れてみようかと思うがどうだい? と訊いておきながら皆の意向はお構いなしにすすめちまうんだな。
  お能の面の歴史は七世紀頃にさかのぼるらしい。古いね。なんでもよその国に教えてもらったのがはじまりとか。よそ、というと今の韓国・朝鮮、中国あたりだね。ほれ、五三八(じゃないかも)年に百済に仏教を教えてもらったよね? それからというもの日本ははまっちゃったでしょ、仏教に。もちろん多少のごたごたはあったけどもさ。でも日本人は今も昔もあたらしもの好き、というか外来もの好きなのだな、思うに。この仏教にはまった、というのだって釈迦という男の生き様・思想に感銘をうけた、というよりはキラビヤカなお顔の仏様にまいってしまった、というのがほんとのところとみたね。だってそれまで日本人が作ってたのはハニワだよ。そりゃびっくりもするさ。皆も比べてみるとよいね。京都・太秦の広隆寺におられる弥勒さんなんか年代的にも歴史の背景的にもおススメだね。
  おっと。話がそれておる。このままでは「仏でオホホ」になっちまわぁ。戻さねば。で、お面はこういう日本の仏教熱に伴って、仏像や経典と一緒に輸入された伎楽・舞楽面がはじまりらしいのさ。そのままじゃもちろん顔は日本っぽくないからね、それらを参考に日本風のものも作られだしたの。そして時を経て、今日見られる能面になったのだね。
  ははは。粗雑だけどそういうことなのだ。(どういうことじゃい!)しかしだね、日本人はよそさまに教えてもらうまでお面っちゅうもんをつくってなかった、と思うのは早とちりのゴンベエさんだ。縄文時代のお面が発掘されてるよ。でも、その後、お面文化は謎の沈黙を見せるのだけど。
  さて、何ゆえ今回はこういうお面の歴史を話しておるのか。それはだな、そこでまたまたここ、近江が重要な役割を果しておるからなのだね。以前のウフフにも書いたけど近江は能楽の前身、猿楽が実にさかんでお面を作るのが上手な人もけっこういたのだな。はじめはお面を専門に作る人はいなかったのよ。お坊さんや仏師が仕事のあいまに作ってたんですとさ。お面は神事に使うことが多いね。で、神事ってのは古いものを残さないでしょ(お伊勢さんは二十年ごとに替えるもんね)。一回きりの命、っていうお面も多かったと思うな。それがお能がだんだん洗練されて形式が備わってくると、お面にも形式が必要になってくるのな。すると、職人が生まれるのだ。そういう変革期に登場したのが近江の井関さんという人。で、その井関さん。初代上総介親信さんから世襲で技を伝え、四代目河内大掾家重さんのとき江戸に出て、あんまり見事な腕前だもんだから「天下一」という名をいただいたんですとさ。ほ! かっこいいね! というわけでこれも自慢しようぜ。
  そのお面を付けて舞ったりお芝居したりするのはよその国にもあってだね、そういう類のものをまとめて“仮面劇”というのだけど、もちろん我らがお能もその中の一つ。この仮面劇は世界各地にあるのだ。でも、お能はその一連のものの中でもちょいと一味違うのだ。それはどういうことかというと……おっと、もう切りあげねば。あんまり長く書くとおこられちゃうんだよ。シンデレラは十二時までに帰らなきゃ。ということで続きは次回にね、ウフフ。

県大学園新聞 第一一号(一九九八年四月十日発行)




お能でウフフ  八の巻 「能面・梅」


  日を追うごとに汗の量が増えてきたぜ。夏はもうすぐそこなのな。季節を先取り! っていうか、単なる汗かき。爽やかな風がうれしい今日この頃、皆さんサラリと生きてます?
  能面ばなしもこれで三回目、三部作の最後となりまして。まずは前回ただよわしておいた臭いの正体をはっきりさせなくちゃね。お忘れ・読みそこねなどなすってるお人もおありでしょう。ちょいと復習しますか。では。「能は世界中にあまたある文化のうち、“仮面劇”という大きなくくりの中に入るんだけども他のとはちと違うんだよ」と、そういったところで終わりになったんでしたな。
  で、それは。「役者全員が仮面をつけるわけじゃない」というところが違ってるんだわ。普通、仮面劇といや仮面をつけた人々によるお芝居・踊りってのが相場。しかし、能は違うんだな。素顔の人と面をつけた人が同時に舞台に上がるんだよ。
  そうなると面をつける人とつけない人の差は? ってことが気になるはず。答えは大雑把にいうと結構簡単。能をやるのは青年男子に限られてましてね(子方、といって子どもの演じる役もあるし、今は女性の能楽師もいますが)。それで、自分と違う種類のもの、つまり生きている青年男子以外の役をする場合につけるのだ。女の人はもちろん、亡霊や妖怪、神様におじいさんなんかがね。
  ということは。面をつけるってことはただ舞台の演出上の方針、というだけではすまないような気がしませんかね?
  能の用語としては、お面をつけることは「(おもて)をかける」というのですな。かぶるものでもつけるものでもなくて、かける。この言葉に、能における面の秘密がかいま見えるような臭いがしますな。能の歴史をさかのぼると、神事につきあたるね。神様に見てもらってたのさ。『翁』は今もそういう雰囲気が色濃く残ってるよ。また、能面は能が出来たあとに出来たわけじゃない。それ以前から祭に使われたりそのものが御神体になってたりしたのだね。では、何ゆえ御神体になってたか。それはお面をつけて舞ってると神様が乗りうつってくれたからではないかな。いわゆる“神がかり”ってやつね。神が“かかる”。それをあえて意図的にしようとすると、神を“かける”という表現になると思うんだけど。だから、ぺたりとつけたりすっぽりかぶったり、というニュアンスではなく、自分というものをしっかりと持ち、神と対峙する気概でもって神の依代たる面をかけるのだね。と、まともそうなことの一つも言ってみとくか。
  能面をかけると神がかりになりやすいのは息がしづらくて酸欠になるからだ、とか光が遮断されて真っ暗な中、ぽっちり光る眼前の一転のみを見つめつづけなくちゃならんので孤独を味わう、他者と隔離された自分を感じる、なんてことが言われてるね。経験してないんでまだよくわかんないんだけど。
  お面は目のところに穴が開いてるんだし、ちょっとうっとうしくはあってもけっこう見えてるんじゃない? って思うでしょ。でもさ、能面ってのは人の顔より小さめでね、謡ったりもするから、顔からちと浮かしてかけてるの。すると、視界はうんとせばまるのだ。でね、視界が狭まると「のぞいてる」って気がするんですと。客は演じてる人を眺めてるつもりで実は面の向こうからのぞかれてる……いったい見てるのはどっち?
  読者諸君は酒を飲んで酔いがまわってくると視界が狭くなる、って経験ありませんかね? だんだん自分の前のことしか目に入らなくなってくるんだな。周囲はもやがかかったような感じでさ。だから先に視界を狭くしても、酔えるのかもしれないなー、なんてね。違うか。興味持った人は試してみてよ。あ、お酒飲むのをすすめてるんじゃないぞ、ウフフ。

県大学園新聞 第一二号(一九九八年六月一九日発行)




お能でウフフ  九の巻 「世阿弥・松」


  みなの衆、汗かいてひからびたりしてちゃだめだぞ。夏はこれからだものな、びわ子。
  いよいよ夏休み。一回生の諸君も、もう学校には慣れたろうね。さて、みんな大学に入るにあたって、もしくは入った後にでも「初心忘るべからず」なんて言われやしなかったかい? なぬ? 言われてねぇ? ま、どこぞで聞いたことあるでしょ。人生の先輩が後輩に送る言葉としてはすごく有名だものな、フムフム。
  で、この「初心忘るべからず」。誰の言葉でしょうか、って問いかけるのがウフフのウフフたる由縁。そう。勘のよい読者ならもうおわかりだね? 答えは世阿弥。今を去ること六百年余り前に能楽の基礎を築いたといっても過言ではない天才親子、観阿弥・世阿弥の息子さんの方だな。
  「初心忘るべからず」……いいこと言うね、世阿弥って。何事も新たに始める時はういういしいし、すれてないからね。そういう心構えを大事にしなくちゃ。大学に入った時、うんと勉強しよう! と思わなかった? 結婚する時、「この人を大切にしよう!」って思わなかった? 「夏までに3sやせるぞ!」って決めたのでは? そうだ、初志貫徹。初心に返らなくちゃ。
  ………なんて思った君。甘いな。あまあまだね。世阿弥はそんなこと言うちゃあおらんのだぜ。
  「かへすがへす、初心を忘るれば初心へ返る理を、よくよく工夫すべし」(『花鏡』)とも言っておってね、世阿さんは。つまりだね、「くれぐれも、初心を忘れたら初心へ返ってしまうということをよくよく考えなさい」っちゅうこっちゃ。そう。初心に返っちゃダメだ、と世阿さんは訴えてるわけ。わかるかい? ほぇ、そうなると解釈がまるっきり逆じゃんか! どういうこと?
  というわけで、読んで為になるウフフ。みんな、得したね! 今回は、ほんとは世阿弥はどういうことを後世の人に伝えたかったのか、を教えてあげるさ。
  まず大事なのは世阿弥は演劇人だということ。自分で作り、舞い、謡い、演じる人だったのよ。だから世阿さんの著述は多く残されてるけど中身はほとんど役者の心構え、っていってよいのな。この「初心忘るべからず」もそうなのさ。
  そして、この「初心」とは初志貫徹という場合の志のことじゃない。物事に初めてあたる際の自分のレベル、状態のことなんだね。
  うーん、つまり。自分がどれだけヘタクソだったかを覚えておけ、ってことなの。そうすることで、現在の自分と常に比較ができるでしょ。どこがどう伸びたのか、または伸びてないのか。この「初心」はあらゆる段階に入る際にかならずなるものだね。人生の内で何度か「初心」になる時がめぐってくるというわけ。それを忘れず、自分の進歩の段階を的確に把握しておきなさい、ってこと。でないと、自分のレベルも分からんしこの先どう進むべきかも見えないでしょ。自己認識が足りないと、レベルが下がって、しかもそれに気付きもしない。それが「初心に返る」ってことなのだね、世阿さんの言う。いやぁ……これはすごいこと言ってるわ。
  しかし。芸の道は厳しいね。常に前へ前へと進むことしか許されてないんだ。単に「昔の純な気持ちを忘れないで」というような願いではなかったのだわ。どう? みなもちと己が道を厳しく吟味してみては。芸に限らず、何事に対しても当てはまる名言だと思うね、あたしゃ。ま、従来の解釈も良い意味ではあると思うけど、知識は増えても邪魔にならないよ。誰かイヤミな人に言われた時に「あのねー、世阿弥はねー、」とかましてみておくれ。というわけで、次回はそんなすごい人世阿さんの生い立ちに迫ってみるぜ、ウフフ。

県大学園新聞 第一三号(一九九八年七月十日発行)