能楽「巻絹」


面、装束、作り物
面、装束、作り物


文掲載(現代語訳付き)

左側が原文、右側が現代語訳です。
下に注釈がついています。

巻絹1  ◆ 天皇の臣下、三熊野で巻絹の到着を待つ ◆
ワキ 「そもそもこれハ當今に仕へ奉る臣下なり。さても我が君あらたなる霊夢を蒙り給ひ。千疋の巻絹を。三熊野に納め申せとの宣旨に任せ。国々より巻絹を集め候。


さる間都より参るべき巻絹遅なはり候。参りて候はゞ神前に納めばやと存じ候
臣下 「私は今上陛下*1にお仕えしている臣下であります。この程、陛下が霊験あらたかな夢をご覧になり、巻絹を千疋、三熊野*2へお納めするようにとの宣旨をお出しになりましたので、諸国より巻絹を集めております。
  さて、都から納めに来るはずの巻絹*3の到着が遅れています。来ましたら、神前に納めようと思っております。
ワキ 「いかに誰かある 臣下 「誰かいるか。
アイ 「御前に候 下人 「は。ここにおります。
ワキ 「都より巻絹を持ちて来りてあらば。こなたへ申し候へ 臣下 「都から巻絹を持って来たら私へ知らせるように。
アイ 「畏つて候 下人 「畏まりました。


*1 今上陛下、とは今の天皇、ということです。この「巻絹」のお話には原作(とでもいうのかな)にあたるものはありませんが、アイデアをとったのではないか、といわれるものはあります。『沙石集』という本に載っている音無天神で身分の低いものが和歌を詠んだ、という逸話です。それだと後嵯峨法皇のときの事となっています。十三世紀末ごろになりますね。
*2 和歌山県にある熊野本宮(東牟婁郡本宮町)、熊野新宮(熊野速玉大社ともいいます。和歌山県新宮市)、熊野那智大社(東牟婁郡那智勝浦町那智山)の三つの神社の総称です。昔々はそれぞれ別の由来をもってお互いに関わりなく建てられたのですが、仏教が日本に定着していくに従って神仏習合がすすみ、それぞれの祭神の本地が決まっていってだんだん熊野全体をまとめて見るような視点が生まれ、熊野全体が聖地とされていったのだそうです。つまり、熊野三山といえばその辺り一帯の山々をさしているのね、と思ってください。さて、そんな熊野は大人気を博し、「蟻の熊野詣」という言葉がうまれるほど参詣者が群がりました。天皇家の崇敬も絶大なものがあり、院政期には上皇自ら度々熊野を訪れました。(後白河上皇なんて、三十四回も行ったんですって! 電車も車もない時代にですよ?)このお話の当時の熊野本宮は今とは違う場所に建っていたそうです。明治二十二年に大洪水がこの辺り一帯を襲い、全部流されてしまったのですって。
*3 巻絹とは読んで字の如く絹を巻いたものです。軸に反物を巻きつけてあるんだそうです。これは当時の高級品で、お金のかわりにも使われていたのだとか。それにしてもなぜ巻絹なのかは詞章からはわかりませんね。価値あるものなら何でもよかったのかな? 巻絹を持って出ると舞台栄えするから? それとも?


巻絹2  ◆ 都人、巻絹を納めに三熊野へ向う ◆
ツレ 「今を始めの旅衣。今を始めの旅衣紀の路にいざや急がん 都の男 「さあ、旅を始めよう。今から始まる紀の路*1への旅。旅装束に身を包み、いざ紀の路へと急ごう。
ツレ 「都の手ぶりなりとても。旅ハ心の安かるべきか。殊更これハ王土の命。重荷を懸くる南の國。聞くだに遠き千里の濱辺。山ハ苔路の嶮しきを。何時かハ越えん。旅の道。休らふ間もなき。心かな 都の男 「都からさほど遠くない紀の路は、風習・風俗もあまり都と変わりはない*2ようだ。かといって、何にせよ旅というものは心もとないもので心は落ち着くものではない。ましてや、今回の旅は勅命によるものなのだからいささか荷が重く感じてしまう。その重い荷を肩に担ぐこの身は、南の国へと向っている。どうだ、その地名を聞くだに遠そうな千里の浜辺*3だ。山道は険しいうえに苔まで生えている。この道のりもいつかは越えられるだろうか、こうして旅路をひた進んで行くならば。ああ、いつ越えられるのか、と思うと止まる事もできず身も心も休む間がないよ。
ツレ 「これとても君の恵によも洩れじ 都の男 「私のような者でも、陛下のお恵みから洩れるということはあるまい。
ツレ 「麻裳よい。紀の関越えて遥々と。紀の関越えて遥々と。山また山を其處としも分けつゝ行けばこれぞこの。今ぞ始めて三熊野の御山に早く着きにけり御山に早く着きにけり 都の男 「麻裳*4のよい紀の国へ関を越えて入ったぞ。遥々来たものだなあ。分け行っても分け行っても山とはこういうところか、と思いつつ辿り着いたぞ、三熊野に。ああ、ここへ来たのは初めてだ。初めて見たぞ、三熊野を。三熊野の山に思っていたよりも早く到着できたようだ。


*1 都と紀州をつなぐ路です。
*2 京都と和歌山は確かに近いですがこの当時、方言なんかはものすごく差があったかもしれませんね。
*3 和歌山県の日高町から南部町にかけての浜辺の名称です。景色の美しいところで、和歌などによく詠まれていました。千里といえば一里を四キロと考えると四千キロ。そんなに長いわけはないですね。けど「遠いな、まだかな」と思いながら歩いていて「千里」と聞くと「ええーっ」と思ってしまう気持ち、分からなくもありませんね。ここはね、アカウミガメが卵を産みに来るところなんですって。
*4 「麻裳よい」「麻裳よし」というのは枕詞で「紀」にかかっています。麻で織られた衣裳を「着」る、と「紀」をかけているのかと思いきや、古代の母音が八つあったころにはこの二つは「き」といっても異なる発音をしていたはずなのでそれはないのだとか。紀州はよい麻裳の産地だったのかしらね。朝も良い、なんてのはだめですかね、あ、西にある浜だから日は昇らないのか。


巻絹3  ◆ 都人、音無の天神に立ち寄り和歌を手向ける ◆
ツレ 「急ぎ候程に。三熊野に着きて候。まづまづ音無の天神へ参らばやと思ひ候。
や。冬梅の匂ひの聞え候。何處にか候らん。げにこれなる梅にて候。この梅を見て何となく思ひ連ねて候。南無天満天神。心中の願ひを叶へて賜はり候へと
都の男 「道中、急ぎましたので三熊野に着きました。まず、音無の天神*1へお参りしていこうと思います。
  おや。冬梅の香りがどこかからほんのりと聞こえて*2きている。どこに咲いているのだろう? ああ、この梅だ。この梅を見ていると、ふと一首、心に浮かびました。南無天満天神。私の心の内の願いをどうぞ叶えてください。
「神に祈り乃言の葉を。心乃中に手向けつゝ。いそぎ参りてまづ君に仕へ申さん 地謡 「神への祈りの言葉・和歌を口には出さず心の内で手向けた。さあ、急いで熊野本宮へ参り*3、勅命をはたすため巻絹をお納めしよう。


*1 熊野本宮の近くには音無川という川が流れており、その辺りの地名を音無といいます。普通、神社には本殿の他にも小さな祠がたくさんありますよね。熊野本宮と音無天神の関係もそういうものだと思われます。巻絹2の注に書きましたがこの辺りは洪水でさらわれ、この音無天神も流されてしまいました。そしてその後、今の敷地に本宮などは建て直されましたがここの神様は合祀される形になっており、今は音無天神はないのです。
  「音無天神」とは、その音無の里にある天神だ、という意味に解して祭神を調べるのにとんだ遠回りをしてしまった過去は第五回淡海能冊子に詳しく載せてあるのですが、かいつまんで申しますと。熊野のあらゆる神社が載っている資料を見つけましたら、そこに「音無天神 少彦名命」と書いてあったのですよ。で、こりゃもうてっきりそうかと思い少彦名命と和歌の関係やら巫女の関係やらを調べていたのです。しかし手繰れども手繰れども手応えがなく、ついに心も新たに考え直して「梅」「和歌」「天神」ときたら菅原道真しかいないじゃん、という自明の理に到達し、しかも詞章を見直してみればそこにはっきり「南無天満天神」とあるではないですかあああ、ということがあったのです。で、そう分かった目で以って前出の資料を再度見てみますと「天神社 菅丞相」ともありまして。つまりは、そこには「音無天神」と「音無天神」、その二つの天神さんがあったのよ、というお話です。「」の字をちょっぴり強調しているのはね、そのためなのです。
*2 聞こえる、といっていますが、香りがほのかに感じられる、という意味です。音が自然と耳に入ってくるのを聞こえると言うように香りが自然と鼻に入ってくるのね。風情があってすてきね。
*3 なんでこの人はさっさと本宮へ行かなかったかなあ、到着して次の日になんて行ってるから怒られて縛られるんじゃん、と思っていたのですが、お山に着いてすぐに本宮へは参らないのが礼儀だったんですってね。先ほど言いましたように本宮のそばには音無川が流れており、この流れで身を清めてから参るべきものだったようです。だから道草食ってるわけではないのです。でも、それを見越しておうち出ないとダメなんだけどね。遅刻は遅刻。


巻絹4  ◆ 都人、遅滞を咎められて縛られる ◆
ツレ 「いかに案内申し候。 都の男 「すみません。案内をお願いいたします。
アイ 「案内とは誰にて渡り候ぞ 下人 「案内せよとは、どなたでしょうか。
ツレ 「都より巻絹を持ちて参りて候 都の男 「都より巻絹を持って参りましたものですが。
アイ 「その由申さうずる間。暫くそれに御待ち候へ。 下人 「そうお伝えして参りますので暫くそこでお待ちください。
アイ 「いかに申し候。都より巻絹を持ちて参りて候 下人 「申し上げます。都から巻絹を持ってこられました。
ワキ 「此方へ通し候へ 臣下 「こちらへお通しするように。
アイ 「畏つて候。 下人 「畏りました。
アイ 「最前の人の渡り候か。その由申して候へば。かうかう御通りあれとの御事にて候 下人 「先ほどの方、いらっしゃいますか。お伝え申しましたらかくかくしかじかでお通しするように、とのことでした。
ツレ 「都より巻絹を持ちて参りて候 都の男 「都より巻絹を持って参りました。
ワキ 「何とて遅なはりたるぞ。その為に日數を定め参る中に。汝一人疎かなる 臣下 「何故遅くなったのだ。遅れぬよう、日数を前もって定めておいたのに、お前一人だぞ、勅命を疎かにしたのは。
「その身乃科ハ免れじと。 地謡 「勅命を粗末に扱った罪は逃れ得るものではない。
ワキ 「いかに誰かある 臣下 「おい、誰かいるか。
アイ 「御前に候 下人 「はい、ここにおります。
ワキ 「急ぎこの者をいましめ候へ 臣下 「至急、この者を縛めよ。
アイ 「畏つて候 下人 「畏まりました。
「その身乃科ハ免れじと。やがて縛め荒けなき苦しみを見せて目のあたり。罪の報いを知らせけり罪の報いを知らせけり 地謡 「その罪状から逃れることはできない。都人は程なく縄で縛められ、あらけない苦痛のうちに突き落とされた。そして、身を以って罪の報いを知らされることとなったのだ。天皇の命を疎略にした罪の報いを。


巻絹5  ◆ 巫女があらわれ、都人を助けよという ◆
シテ 「なうなうその下人をば何とて縛め給ふぞ。その者ハ昨日音無の天神にて。一首の歌を詠み我に手向けし者なれば。納受あれば神慮。少し涼しき三熱の。苦しみを免るそれのみか。




人倫心なし。その縄解けとこそ。


解けや手櫛の。乱れ髪
巫女 「もし。その人を何故縛めるのですか。その者は昨日、音無の天神へ参詣し、そこで一首の和歌を詠んで私に手向けたのですよ。その手向けられた和歌を受け入れて、私の心は少しく清澄になりました。常々、衆生が貪欲・怒り・愚癡*1の心から脱却できずに地獄に落ちるさまを見せられるたびに心を痛めずにはいられない三熱の苦しみからも少し解放されたというのに、それだというのに。
  ああ、なんと人というものはかくも情け知らずなものなのだろう。その縄を解きなさい。
  さあ、解きなさいその縄を。髪が乱れれば手櫛で解きもするでしょう、それならば、この縄を解いて神の乱れた心をも解きなさい。
「解けや手櫛の乱れ髪乃。神ハ受けずや御注連の縄乃。引き立て解かんとこの手を見れば。心強くも。岩代の松の。何とか結びし。なさけなや 地謡 「解きなさい、乱れた髪を解くように縄を、そして神の心をも。神が、手向けられた和歌を受けない、などという事がありましょうか。さあ解かねば、この荒き縄を、と都人を引き起こし縄をほどこうとしてその縄の結び目を見てみれば。まあなんと荒くも縛りつけたものか、岩代の結び松*2でもあるまいに。なんという結び方だろう、ああ、情けないことだ。


*1 神様といえども、苦しみはあるようでここでは「三熱」というものが神様を苛んでいるのだということが分かります。けれど、この「三熱」って、一般的には龍が受ける苦しみのことをいうのです。熱風や熱砂に身体を焼かれる苦しみ、ひどい風が吹いて家や衣服を飛ばされてなくしてしまう苦しみ、それから金翅鳥に襲われ喰われそうになる苦しみ。龍にはこの三つの苦しみがあるのですって。あんまり神様には「三熱」があるとは言わないんだけど、あるとしている書物もあってそれによればとにかく、人間が悟りをひらけず地獄に落ちていく姿を見るのが何よりも辛いそうです。いい人だー。でも、その苦しみが和らぐってのはまさか、その様を見なくて済むようになった、ってこと? 見てないところでは地獄に落ちてもいいの? 違うよね……と思いたい。
*2 その昔、有間皇子がお父さんである天皇とお兄さんである皇太子(後の天智天皇)に対して謀反を企てた咎で捕えられ、護送される道中に松の枝を結んでこんな歌を詠みました。
  「岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた帰り見む」
もう、戻ってこれないだろうと分かってはいながら、またこの結び目を見たい、もし生きていられたなら……という願いを込めて結んだのです。その、松を結んだ場所・岩代は和歌山県の海岸にあります。都の男が一生懸命三熊野を目指して歩いていた、あの千里の浜のあたりですよ。


巻絹6  ◆ 和歌を詠んだものを助けようとする天神 ◆
ワキ 「これハさて何と申したる御事にて候ぞ 臣下 「これは一体どうしたことなのですか。
シテ 「この者ハ音無の天神にて。一首の歌を詠み我に手向けし者なれば。とくとく縄を解き給へ 巫女 「この者は音無の天神で和歌を詠み、私へ手向けた人なのです。だから早くその縄を解きなさい。
ワキ 「これハ不思議なる事を承り候ものかな。かほど賤しき者の歌など詠むべき事思ひも寄らず。いかさまにも疑はしき神慮かと存じ候よ 臣下 「これは、不思議なことをおっしゃる。このように賎しい者が、和歌など詠めようとは思えません。疑わしい神慮であると思わざるを得ませんが。
シテ 「なほも神慮を偽りとや。さあらば彼の者昨日我に手向けし言の葉乃。上乃句を彼に問ひ給へ。我また下の句をば續くべし 巫女 「こうまで言ってもまだ、神慮を偽りだと申すのですか。それならば、あの者が昨日私に手向けた和歌の上の句を問うてみるがよい。上の句を言えば、その後に私が、下の句を続けましょう。
ワキ 「この上ハとかく申すに及ばず。

いかに汝眞に歌を詠みたらば。その上の句を申すべし
臣下 「こうなってはとやかく申しても埒があきません。
  おい、お前。真実、天神に和歌を手向けたというのならばその歌の上の句を申してみよ。
ツレ 「今ハ憚り申すに及ばず。かの音無乃山陰に。さも美しき冬梅の。色殊なりしを何となく。心も染みて斯くばかり。音無にかつ咲き初むる梅乃花 都の男 「今は遠慮すべきではありませんので申します。音無の山陰に美しい冬梅が一際鮮やかに咲いておりましたのを見まして、ふと心惹かれ、このように詠みました。
 音無にかつ咲きそむる梅の花*1
――音無の里でこのように咲き初め、心に染む梅の花


*1 さて。ここで、この「巻絹」のお話の元を紹介。

 後嵯峨ノ法皇ノ、御熊野詣アリケル時、伊勢國ノ夫ノ中ニ、本宮ノヲトナシ河ト云所ニ、梅ノ花ノサカリナルヲ見テ、
   ヲトナシニサキハジメケム梅ノ花 ニホワザリセバイカデシラマシ
 夫ガ歌ニハ、イミジキ秀歌ナルベシ。此事御下向ノ時、道ニテ自然ニ聞食サレテ、北面ノ下揀j仰テ召サレケリ。北面ノ物、馬ニテアチコチ打廻テ、「本宮ニテ歌ヨミタリケル夫ハ、イヅレゾ」ト問ニ、「是コソ、件ノ夫ニテ候ヘ」ト、ソバニテ人申ケレバ、「ヲホセナリ。參ルベシ」と云ケル、御返事ニ、
   花ナラバヲリテゾ人ノ問ベキニ ナリサガリタルミコソツラケレ
 サテ、返事ニハヲヨバデ、ヲメヲメト馬ヨリヲリテ、具シテ參ヌ。事ノ子細聞食サレテ、御感アリテ、「何事ニテモ所望申セ」ト仰下サル。「云甲斐ナキ身ニテ候ヘバ、何事ノ所望申候ベキ」ト、申上ケレドモ、「ナドカ分ニ隨フ所望ナカルベキ」ト、仰下サレケレバ、「母ニテ候物、養フ程ノ御恩コソ、望所ニ候ヘ」ト、申上ケレバ、百姓ナリケルヲ、彼所帶公事、一向御免アリテ、永代ヲ限テ、違亂アルマジキヨシノ御下文給テ、下リケルトゾ、ワリナキ勸賞ニコソ。百姓ガ子ナリケレドモ、兒ダチニテ、歌ノ道チ心エタリケルトゾ、人申ケル。

  『沙石集』という、中世の説話がいっぱい載ったご本に載っています。歌は少し変えられてますが、歌の意味合いと、身分の低い人が歌を、という驚き、それに何より舞台が一致してますよね。この『沙石集』は、ほかにも「あー、この詞章はここから取ったんだな」というような箇所がいくつもあります。「巻絹」を書いた人はきっと『沙石集』が愛読書だったんだな。


巻絹7  ◆ 下の句を天神が続け、疑いも縄も解ける ◆
シテ 「匂はざりせば誰か知るべきと。詠みしハ疑ひなきものを 巫女 匂はざりせば誰か知るべき
――匂いが届かなければこの梅の花が咲いていることにいったい誰が気付くというのだろう
と。こうこの者が詠んだことは疑うまでもない事実なのに。
「元より正直捨方便の誓ひ。曇らぬ神慮。直なる故に斯くばかり。納受あれば今ハはや。疑はせ給はで歌人を。免させ給ふべし。




又ハ心中に隠し歌も。神の。通力と知るなれば。げに疑ひの徒心。うち解けこの縄をとくとく免し給へや
地謡 「もともと、神は“正直捨方便*1”の誓いをたてています。巧妙な手段を弄せず、ただ真実のみを伝えんとする曇りなき神慮は率直であるが故にこうして手向けられた和歌も、納受するのです。納受したということが判然とした今、もうこの歌人を疑うのは止め、許してやってほしいのです。
  もしくは、この者が心で詠み、口にせず隠していた歌を知ることができたことこそ神の通力によるものと言えるでしょう。そうと察したならば、無駄な疑念などはすぐさまうち解き、この縄も解き、許してやってください。


*1 この「正直捨方便」という言葉は、法華経の方便品に出てきます。「嘘も方便」という言い方がありますが、正しい教えに導くためであれば嘘をつくのも手段の一つ、ということなのです。そら、鬼子母神が人の子どもを捕まえてきて、自分の五〇〇人もいる子どもたちに食べさせて養っていた、というお話がありますよね。あのときお釈迦様は鬼子母神の末の子を隠して、子をなくした母親がどれほど辛いものか身を以って分からせ、それ以後鬼子母神は人の子どもをとることはなくなったんですよね。あれは、お釈迦さまによる方便でしょう。さて、方便を使わないであんなに鮮やかに成果を出せるものかしら。私にはくどくどくどくど……と説き倒すぐらいしか思いつかないのですがそれではその時点でちっとも鮮やかでありませんし、鬼子母神は聞いてもくれない可能性大です。となると「嘘も方便」なんですよね。けれど、やっぱりそれはあくまでも「手段」だとお考えのようです。本当は率直にいきたいようなのですね、みなさん。そういうことを方便品は伝えたいのかな、と私は読みました。
  さて、そこで神様のことです。神様は、もともと方便というものは苦手としてらっしゃるのではないでしょうかね。何と申しますか、小難しいことはおできにならないのでははないかと。神様のお話って、なんだか直裁的なものが多いような気がしません?感情表現もはっきりしてますし。「策を弄する」なんてことからは遠い存在のような方ばかりのような気がします。そりゃ、たくさんおられるので口から生れたような方もいらっしゃるでしょうけれど。そんなこんなで、「神はもともと正直捨方便なのよ」と言ってるのかな、なんて。「やらない」と「できない」は違うと思うんですが、そんなこと言ってたら怒られちゃいそう。


巻絹8  ◆ 巫女に憑いた神は語り始める ◆
「それ神ハ人の敬ふに依つて威を増し。人ハ神の。加護に依れり 地謡 「そもそも、神というものは人が敬うことによって威を増すもの*1であり、人は神の加護のお陰で生きているのでしょう。
シテ 「されば樂しむ世に逢ふ事。これ又總持の義に依れり 巫女 「だから、人が楽しみながら生きていこうと思うなら、日本における陀羅尼*2である和歌を詠み、神仏に手向ければよいのです。
「言葉少うして理を含み。三難耳絶えて寂念閑静の床の上にハ眠り。遥かに。眼を去る 地謡 「僅か三十一文字のうちに計り知れない理を含む和歌を手向けられると、畜生道・餓鬼道・地獄道*3で苦痛にあえぐ衆生の有様を見ざるを得ない苦難は遠ざかり、心乱されることなく静かに坐し、観想を凝らすことができるのです。そのような煩悩によって曇らされていた眼を蔽う雲が晴れて覚めた眼には、物事を明らかに見る力が備わるのです。和歌には、そういう力があります。


*1 やっぱり神様って信仰されて何ぼのものだと思うのですよ。わりと神様というのは分かり安い性格をしてらっしゃるようなので、みんなが「好きー」といったら調子に乗ってくれそうですものね。さて、これですが神様ご自身のお言葉なんです。宝亀四年二月二五日。八幡様のご託宣があったんです。「神土云物波。人乃伊都岐伊波比祭爾。神徳波増物曾。世波替土毛神波不替。因之神道爾跡垂給天。朝廷於奉守者。」ってね。
*2 「陀羅尼」とはサンスクリット語の音に漢字を当てはめたもの。それを漢訳した言葉が「総持」です。計り知れない意義、功能を持っている、という意味です。平たく言うと、呪文のことです。ご存じの通り、仏教はインドで始まりましたのでもともとのお経はもちろんインドの言葉(サンスクリット・梵語)です。それを中国で漢訳されたものを私たちは一般に見ているわけです。そして、様々な仏典の中に言葉そのものが力を持つ、即ち呪文が記されています。それを「dharani」といいます。そして、その言葉は中国で経典が漢訳される際に、訳してしまうと言葉の持つ意味が削がれてしまう、という訳者の判断で音に漢字をあてはめて記されました。そういう呪文的な、言葉の音そのものが力を持つとされるもので少し長めの物は「陀羅尼」、短めの物は「真言」と言われています。お経の中で意味のぜんぜん分からない難しい漢字の羅列してある部分、あれは陀羅尼かもしくは真言だと思ってください。お能にも真言が取り入れられている曲はいくつかありますね。
「■呼▲呼▲旋荼利摩登枳。■阿毘羅吽欠娑婆呵……(■は口偏に奄、▲は口偏に魯)」(なんの曲かわかる?)
*3 人というのは六つの“道”をおのれの罪障によって輪廻しています。上から順に言うと天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道となります。すなわち、この三つは厳しい方の三つということです。人の世とは色々とつらいことも多いですけど二番目によいのです。またこの世に生まれてこれるといいね。


巻絹9  ◆ 巫女に憑いた神、歌の功徳を説く ◆
「これに因つて。本有の霊光忽ちに照らし自性の月。漸く雲収まれり。一首を詠ずれば。よろづの悪念を遠ざかり天を得れば清く地を得れば安しあらかじめ。唯有一實相唯一金剛とは説かずや 地謡 「そうして、障りがなくなると本来備わっている霊光が放たれます。月を今まで蔽っていた雲が晴れるように。和歌を一首詠めばあらゆる悪念は遠ざかって天は清く、地は安定している*1状態を世界は取り戻すのです。和歌の功徳によって本来のその姿が分明になるのです。かねてより唯有一實相唯一金剛と説かれているとおり、この世には真実の姿があり、それは決して壊れはしないのです。
シテ 「されば天竺の 巫女 「それゆえ天竺の
「婆羅門僧正ハ。行基菩薩の御手を取り。霊山の。釋迦の御もとに契りて眞如朽ちせず逢ひ見つと詠歌あれば御返歌に。伽毘羅衛に契りし事のかひありて。文殊の御顔を。拜むなりと互に。佛仏を顕すも和歌の徳にあらずやまた神ハ出雲八重垣片削の寒き世乃例言はずとも傳へ聞きつべし。神の標結ふ糸櫻の風乃解けとぞ思はるゝ 地謡 「婆羅門僧正が難波浦で行基さまの御手を取って*2

霊山の釋迦の御もとに契りて
    眞如朽ちせず逢ひ見つ

――霊山でお釈迦さまの説法を聞いておりましたときにお約束して、こうして真如は朽ちることなく、またお逢いできましたね

と詠まれたところ、御返歌として

伽毘羅衛に契りしことのかひありて
     文殊の御顔を拝むなり

――伽毘羅衛国でお約束した甲斐があって、文殊菩薩さまのお顔をまた拝見できました

と、詠まれ、お互いに仏の化現であると広く知られたのも和歌の功徳によるものでしょう。
  また、日本の神と和歌との深い関わりは「出雲八重垣」「片削の寒き世」*3の歌の例を持ち出すまでもなく伝え聞いていることでしょう。神の注連縄が結ってある糸桜は暖かな風に誘われてその莟を解きひらきます。そう、縄も解けましょう。


*1 老子さんのことば「天得一以清、地得一以寧」からです。これは「神得一以霊」と続きます。和歌パワーで、神様のパワーも存分に発揮できるようになるんです。
*2 このお話についてはここじゃ狭くて無理なの、「仏でオホホ」でね!
*3 
「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」素盞鳴尊さんの歌です。「夜や寒き衣や薄き片そぎの行きあひの間より霜や置くらん」こちらは住吉明神さんの歌。こうして神様ご自身が和歌としてお言葉を発しておられるのです、和歌を日本の陀羅尼と言わずして何と言いましょうや。 


巻絹10  ◆ 巫女は憑いた神をあげるために舞う ◆
ワキ 「さあらば祝詞を参らせられ候ひて。神を上げ申され候へ 臣下 「祝詞*1を奏上し、神様をお上げしてください。
シテ 「謹上再拜。

抑も當山ハ。法性國の巽。金剛山の霊光。この地に飛んで霊地となり。今の大峰これなり
巫女 「謹上再拜。謹んで奏上し再拝いたします。
  そもそもこの三熊野の山は法性国*2の東南に位置し、鉄囲山*3より放たれた霊光がこの地を指してよ  り、霊地となっているのである。その光の照射した所とは、今の吉野の大峯である。
「されば御嶽ハ金剛界の曼荼羅 地謡 「御嶽*4は金剛界の曼荼羅を具現しており
シテ 「華蔵世界。熊野ハ胎蔵界 巫女 「蓮華蔵世界、すなわち毘盧遮那仏の浄土である。熊野は胎蔵界であって
「密厳浄土。ありがたや
〈神楽〉
地謡 「大日如来の密厳浄土である。ありがたいことだ。
「不思議や祝詞の巫女物狂。不思議や祝詞の巫女物狂のさもあらたなる。飛行を出して。神語するこそ。恐ろしけれ
〈イロエ〉
地謡 「不思議なことがおこっている。祝詞を奏上する巫女が物狂いの様相を呈し始めた。まことにあらたかな神懸かった動きをとり始め、神の言葉を話し始めた。その様は恐ろしいほどである。


*1 神様に喜んで頂くための言葉です。神々を褒めたたえ、神の恵みを得たい内容を盛り込んだ言葉です。
*2 「法性」とは宇宙の本質・不変の真理といった意味で実相、真如などと同義です。それらを備えた国、ということなのでしょう。さて、これはどこの国のことなのでしょうか。仏教発祥の地・インドか、それとも日本か。確かに、熊野は日本の東南とは言い難いですが「巻絹」が書かれた時の国土の概念からすると東南にあたらないこともないのではないかと。それに、なんといっても日本には神さまがおられて、和歌があるんですもの。
*3 仏教の世界観、須弥山世界において世界の果てをぐるりと取り囲んでいる山のことです。
*4 これ以降の説明は一気にいきますよー。
  吉野から熊野にかけて連なる大峰山脈との中で一番高い釈迦ヶ岳付近を境に吉野側は金剛界、熊野側は胎蔵界とされています。御嶽とは吉野側の拠点・金峰山です。となると鉄囲山から光に照射された山とは釈迦ヶ岳だと思いたいんですがどうでしょうか。
  金剛界・胎蔵界とは大日如来を中心とした仏教的世界観で、大日さんを智慧の面から捉えた何物にも打ち砕かれない堅固な世界観が金剛界です。胎蔵界は、大日さんを慈悲の面から捉えた世界観です。何物をも包み込む、母胎で守られる胎児のイメージです。 曼荼羅とは本来仏の悟りの境地のことですが、それを絵に現したものをもそう呼びます。


巻絹11  ◆ 神仏を語り尽くし、神は巫女の体を離れる ◆
シテ 「證誠殿ハ。阿弥陀如来 巫女 「熊野本宮・證誠殿には阿弥陀如来がおわします
「十悪を導き 地謡 「十悪*1を犯した者を正しきに導き
シテ 「五逆を憐む 巫女 「五逆*2の大罪を犯した者さえ憐みます
「中の御前ハ 地謡 「中の御前こと新宮には
シテ 「薬師如来 巫女 「薬師如来がおわします*3
「薬となつて 地謡 「自らが衆生に働く薬となり
シテ 「二世を濟く 巫女 「現世と来世の二世で救済します
「一萬文殊 地謡 「一萬宮の文殊菩薩は
シテ 「三世の覺母たり 巫女 「過去世・現世・来世の三世にわたって衆生を眠りから覚まし、正覚を与える母の如き存在であり
「十萬普賢 地謡 「十萬宮には普賢菩薩がおわします
シテ 「満山護法 巫女 「熊野全山には護法の神仏が満ちているのです
「数々の神々かの巫に。九十九髪の。御幣も乱れて。空に飛ぶ鳥の。翔り翔りて地に又踊り。數珠を揉み袖を振り。擧足下足の。舞の手を盡し。これまでなりや。神ハ上らせ給ふと言ひ捨つる。聲の中より狂ひ覚めてまた本性にぞ。なりにける 地謡 「巫女は数々の神々を語る。その神仏までも巫女に憑いたものか、物狂いの様は激しくなり、神も振る御幣も乱れに乱れる。その舞う姿は空を飛ぶ鳥の如くあるいは飛翔しあるいは地上に踊り、数珠を揉んだり袖を振ったり足を激しく上げ下ろししながらあらゆる舞の手が尽くされ……
  「もうこれまでです、神は上がられました」
そう話す言葉のうちにも狂乱から覚め、巫女は本来の様子に戻ったのであった。


*1 殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語・悪口・両舌・貪欲・瞋恚・邪見の十種類の悪行のことを言います。
*2 殺生・殺母・殺阿羅漢・破和合僧(教団の和を乱す)・出仏身血の五つの大罪です。「出仏身血」とは仏像の血を出す……つまり、仏さまを傷つけることなんですって。それはイケナイ。
*3 三山、といつもセットで言われているのに那智大社だけ言ってもらえてないのは気の毒なのでこっそりお教えします。西の御前こと那智大社にはね、千手観音さんがおられるんですよ。