能楽「菊慈童」


このお話の資材とは

  太平記巻十三「龍馬進奏の事」
  周の穆王は、よい馬を手に入れ方々を回り、釈尊に出会い国を治める法を授かりました。これが、法華経の中の八句の偈です。ある時、帝が寵愛なさっていた童子が、過って帝の御枕を、またいでしまいました。そして、彼は野獣の住むような寂しいレッケンに流罪にされます。これを知った帝は、かわいそうに思い、例の八句の偈のうちの二句をそっと伝授なされました。
  流された慈童は悲しみながらも帝に言われた通りに、授けられた偈を毎朝唱えていましたが、もしかしたら忘れてしまうこともあるかもしれないと思い、菊の葉にこれを書き付けました。その後、この菊の葉にたまった露がわずかずつ落ちて、川を流れる水がすべて天の甘露の霊薬になったのです。慈童が喉の渇きをおぼえてこの水を飲むと大変甘く、どんな珍味にも勝っていました。そして、天人が花を捧げて飛来し、鬼人が手をそろえて奉仕しましたので、野獣の心配もなくなりました
  それどころか、平凡な慈童に羽が生じ仙人となったのです。これだけでなく、谷の下流の水を飲んでいた三百余軒の人々は、皆病気が治り不老不死の長寿を保ったのでした。こうして、時代は移り八百余年ののちまで、慈童は少年の容貌で、老い衰えることがありませんでした。時がたち、魏の文帝のとき、慈童は召しだされ彭祖と名を変えた時に、この偈を文帝にお授けしました。
  能楽『菊慈童』では、枕が出てきますし、慈童が彭祖に変わったともしていません。このように少しずつアレンジされています。

(レッケン山は■(麗にオオザト)縣山、と書きます。)


登場人物と作り物
登場人物と作り物


文掲載(現代語訳付き)

左側が原文、右側が現代語訳です。
下に注釈がついています。

ワキツレ
ワキ
山より山の奥までも。山より山乃奥までも道あるや時代なるらん 勅使
従臣
これほど山の奥に到るまでも道が拓けているのは、立派な天子が治めるお陰であろう。
ワキ これハ魏の文帝に仕へ奉る臣下なり。さても我が君の宣旨にハ。レッケン山乃麓より藥の水涌き出でたり。その水上を見て參れとの宣旨を蒙り。只今山路に赴き候。急ぎ候程に。これハはやレッケン山に着きて候。これに庵の見えて候。まづこの邊に徘徊し。事の子細を窺はゞやと存じ候 勅使 私は、魏の文帝*1に仕えている臣下だ。レッケン山のふもとから長寿の酒が湧き出ている。その水源を見て来いと、我が君からの宣旨を受けた。そのため山へと向かっているところである。急いだので、もうレッケン山についたようだ。おや、こんなところに庵がある。この辺りを歩き回り詳しい様子を探ろう。
シテ それ鄲乃枕の夢注1。樂しむ事百年。慈童が枕ハ古の。思ひ寝なれば目も合はず 慈童 邯鄲の枕をして寝ると百年間の栄華の夢が見られるといいます。しかし私の枕は、昔の悲しい思い出*2の枕であるために、夜も寝ることができません。
(レッケン山は■(麗にオオザト)縣山、と書きます。)


注1 邯鄲の枕の夢
  盧生という青年が、中国河北省の邯鄲というところで、仙人から不思議な枕を借りて眠り、五十年の栄華を極めた夢を見たがそれはほんの短い間であったという故事のこと。ここから、人の世の栄枯盛衰ははかないという意味の邯鄲の夢ということわざがある。ここではこの栄華を百年としている。
*1 魏の文帝
  中国の三国時代の魏の皇帝で、三国志で有名な曹操の息子である曹丕。
*2 悲しい思い出
  慈童は帝の寵愛を受けていたが、或る時過って帝の枕の上を越えた。その罪で、レッケン山に流罪にされた。そのときに帝からこの枕を頂いたので悲しい思い出となっているのである。


夢もなし。いつ樂しみを松が根の注1。いつ樂しみを松が根乃。嵐の床に假寝して。枕の夢ハ夜もすがら身を知る袖注2ハ乾されず。頼みにし。かひこそなけれ獨寝の枕詞ぞ。怨みなる枕詞ぞ怨みなる 地謡 夢も見られずに楽しみを待っています。楽しみが訪れるのはいつかいつかと待っています。山中の松の根本の嵐の吹き通る貧しい仮の床に寝て、一晩中泣き濡れているこの袖は乾く間もありません。帝が長く自分を頼みにして下さった甲斐もございません。一人で寝ていると床での枕詞*1は、かえって恨めしく思い出されます。
ワキ 不思議やなこの山中ハ。狐狼野干の住處なるに。これなる庵の内よりも。現れ出づる姿を見れば。その樣化したる人間なり。如何なる者ぞ名を名のれ 勅使 この山中はなんと奇妙なのだろう。ここは、狐や狼などの野獣の棲むところで人間の住まないところだ。この庵より現れ出てきた姿を見ると、化け物と思われるような人間だ。誰なのか名を名乗れ。
シテ 人倫通はぬ所ならば。其方をこそ化生の者とハ申すべけれ。これハ周の穆王に召し使はれし。慈童がなれる果ぞとよ 慈童 人間の通らないこの場所です。あなたのほうこそ、怪しき化け物でしょう私は、周の穆王*2に召し使われていました。その慈童の落ちぶれた姿です。


注1 楽しみを松が根の
  と楽しみを待つとをかけている。

注2 身を知る袖
  涙のこと。「かずかずに思ひ思はずとひがたみ身をしるはふりぞまされる」(あれこれと思って下さっているのかいないのか、お尋ねしづらいので悩んでおりましたところへ、『雨のため出渋っている』とのお言葉。雨が、我が身などその程度かと思い知らせてくれたわけです。今や、雨ならぬ涙がいっそう激しく我が身に降り注いでおります)という在原業平の古今集の歌の句を用いている。
*1 枕詞
  常に口癖のように言う言葉のこと。ここでは、帝の寵愛の詞を指している。
*2 周の穆王
  周の武王から五代目の王。


ワキ これハ不思議の言ひ事かな。眞しからず周の代ハ。既に數代のそのかみにて。王位もその數移り来ぬ 勅使 なんと不思議なことを言っている。周の代はすでに大昔のことだ*1。帝王の位も多数移っているのだぞ。
シテ 不思議や我ハそのまゝにて。昨日や今日と思ひしに。次第に變るそのかみとハ。さて穆王の位ハ如何に 慈童 不思議です。私はそのまま何も変わっていないので、昨日や今日のことだと思っていました。どんどんと王位も変わっているのですね。それならば穆王の位はどうなったのですか。
ワキ 今魏の文帝前後の間。七百年に及びたり注1非想非々想注2ハ知らず人間に於いて。今まで生ける者あらじ。いかさま化生の者やらんと。身の怪しめをぞなしにける 勅使 今は魏の文帝の御世で、周の穆王からは、七百年間もたっている。非想非々想天にいるものならわからないが、人間世界では今まで生きているものなどいない。いかにも怪しき化け物ではないか。その身は、とても不審であるぞ。
シテ いやなほも其方をこそ。化生の者とハ申すべけれ。忝くも帝の御枕に。二句の偈を書き添へ賜はりたり。立ち寄り枕を御覧ぜよ 慈童 やはりあなたこそ、怪しき化け物ではないのですか。私は穆王より二句の*2を書かれた枕を有難くも頂きました。そのようにお疑いになるのならば、立ち寄ってその枕をご覧下さい。


注1 七百年に及びたり
  周の穆王より魏の文帝までは千二百年間ある。しかし、ここでは彭祖にならって七百年としている。彭祖とは、仙人として『列仙伝』・『神仙伝』に出てくる人物である。その寿命は七百年とも八百年ともいわれるほどで常に若々しかった。
注2 非想非々想
  ここでは、非想非々想天のこと。仏教では、世界を欲界・色界・無色界の三つに分けている。その無色界の中の最上天が非想非々想天であり、世界の頂点に昇ったような気持ちから有頂天という言葉が生まれた。

*1 周の代はすでに大昔のことだ
  今は、周から秦・前漢・後漢を経て魏になっている。穆王から文帝の時代までは約千二百年もたっている。
*2 偈
  偈とは、詩などで法門を述べ、または仏徳を賛歌したものである。


ワキ これハ不思議乃事なりと。各々立ち寄り讀みて見れば 勅使 これは不思議なことである。
皆で立ち寄り見てみると
シテ 枕の要文疑ひなく 慈童 枕に記された経文は疑いのないことです。
シテ
ワキ
具一切功徳慈眼視衆生。福聚海無量是故應頂禮 慈童
勅使
具一切功徳慈眼視衆生。福聚海無量是故應頂禮*1
この妙文を菊の葉に。置く滴りや露乃身の注1不老不死の藥となつて七百歳を送りぬる。汲む人も汲まざるも。延ぶるや千歳なるらん。面白の遊舞やな 地謡 この経文を書き記した菊の葉にたまる露の雫が、不老不死の薬となっていたんですねえ。それを飲んでいたので七百歳になるまで過ごせていたんですねえ。誰も彼も千歳へと寿命が延びるでしょう。
さあ楽しく、舞おう。
シテ ありがたの妙文やな 慈童 なんと有難い経文なのでしょう。


注1 この妙文を菊の葉に。置く滴りや露乃身の。
  妙文を聞くを菊にかけている。露の身ははかない人間の身をいう。
*1 具一切功徳慈眼視衆生。福聚海無量是故應頂禮。
  観音経(法華経普門品)の最後の部分である。観音経は、観世音菩薩が、私たちの苦難のときに、観世音菩薩の慈悲の心を信じて名前を唱えれば必ず救ってくれると説いたものである。「あらゆる功徳を持ち、慈悲の目を持って人々を眺めている。その福の集まる姿は無量である。それゆえに頂礼すべきである。」頂礼とは行者の足に頭をつけて礼をするインドの最高礼のことである。


即ちこの文菊の葉に。即ちこの文菊の葉に。悉く顕る。さればにや。雫も芳ばしく滴りも匂ひ。淵ともなるや注1谷陰乃水の。所ハレッケン乃山の滴り菊水の流れ。泉ハ元より酒なれば。汲みてハ勧め掬ひては施し。我が身も飲むなり飲むなりや。月ハ宵の間注2その身も醉ひに。引かれてよろよろよろよろと。たゞよひ寄りて枕を取り上げ戴き奉り。げにもありがたき君の聖徳と岩根の菊注3を。手折り伏せ手折り伏せ。敷妙の袖枕注4。花を筵に臥したりけり 地謡 そのお陰で、この二句の偈文が菊の葉に悉くあらわれ見えます。それがゆえ、かぐわしい良い香りがします。菊の水滴がたまっている谷陰の水。レッケン山から流れ出てくる菊の滴の集った霊水の流れ。この菊水は、長寿の酒であるので、酌みましょう。さあお飲みくださいな。すくっては与えて、私も飲みましょう。宵の頃になってきたので、酔ってきました。宵のために足元は定まらずによろよろしています。

足元はよろめき、枕を手に取り頭の上にのせて、まことに有難い*1の優れたさまを述べる。大きな岩の菊を手折り伏せ手折り伏せ、片袖を枕にして菊の花を敷物として眠る。
シテ 元より藥乃。酒なれば 慈童 これは、初めから長寿の薬の酒ですよ。
(レッケン山は■(麗にオオザト)縣山、と書きます。)


注1 淵ともなるや
  『拾遺集』、清少納言の父である清原元輔の歌「我が宿の菊の白露今日ごとに幾よ積つもりて淵となるらん」(私の宿の菊の白露は、これから毎年九月九日ごとにいったい幾代積もりたまって、淵となるのだろうか)によって、菊の雫が淵となるとした。
注2 月は宵の間
  月は“月”と“杯”を意味し、宵は“宵”と“酔い”とを意味している。
注3 岩根の菊
  君の聖徳を言う根にかけている。
注4 敷妙の袖枕
  “妙”は枕の枕詞で、菊を手折り伏せてくとかけている。
*1 帝
  帝は、周の穆王のことである。穆王から賜った枕の偈文の功徳によって、菊水の流れが生じたものであるから。


元より藥の酒なれば。醉ひにも侵されずその身も變らぬ。七百歳を保ちぬるも。この御枕乃故なれば。いかにも久しき千秋の帝。萬歳乃我が君と。祈る慈童が七百歳を。我が君に授け置き。所ハレッケンの山路の菊水。汲めや掬べや飲むとも飲むとも。盡きせじや盡きせじと菊かき分けて山路乃仙家に。そのまゝ慈童ハ。入りにけり 地謡 これは、はじめから長寿の酒ですよ。いくら飲んでも酔いのために身を害するということもありません。若いまま変わらず七百歳になっているのも、この穆王から頂いた枕のおかげでございます。

慈童が魏の文帝も千秋万歳をと、七百歳を祈り授けて奉る。

レッケン山の山中の菊水ですよ。汲んだり、両手ですくったりして、飲んでくださいな。飲んでものんでも、その泉はつきることはありませんから。

そうして、慈童は菊をかきわけて庵に戻っていった。
(レッケン山は■(麗にオオザト)縣山、と書きます。)


(ほう)()メモ 〜仙人好きなあなたのために〜
  仙人のことがいろいろとのっているものに、前漢の時代の作とされる『列仙伝』と、東晋の時代の『神仙伝』があります。これらに、菊慈童のモデルとなっている彭祖が登場します。モデルといいましても、お話とはかけ離れています。
  彭祖とは殷の大夫であったと『列仙伝』にされています。夏の時代を経て、殷の末年に八百歳になっていました。歴陽には彭祖の仙室というのがあり、昔はここで雨乞いをすればいつも効験があり、つねに二匹の虎が祠の左右に控えていました。今でも祭り終わると地面には虎の足跡がつきます。後に仙人になって昇天したとされています。また、『神仙伝』には老衰はしていず、若い頃より安静を好み、世辞にかまわず、名声を気にせず、外観を飾らず、なすことといえばひたすら生を養い身を治めることだけだったとも記述されています。また、殷王が、長寿の秘密を知りたいと使いの者に聞かせに行き、それを試み効果がありました。しかし王は、これを秘密にしたいと思い、その彭祖の道を伝える者を殺しました。また、彭祖をも殺そうとしましたが、これを知り、国を去ったまま行方知れずになりました。
ひとことメモ
掛詞
和歌などに使われる技法で、同音異義を利用して一つの言葉に二つの意味をもたせる。わかりやすく言うとダジャレのことです。本文中にも「松」と「待つ」、「菊」と「聞く」など数多く使われています。

枕詞
ある言葉を使うための決まり文句のことです。例えば、「ひさかたの」の枕詞の次には、光や天などの言葉が続きます。このひさかたの自体には意味はないのです。他には、本文中に出てくる「しきたえの」や、または「あしひきの」や「ちはやぶる」や「くさまくら」などがあります。これに似たのに、序言葉というのがありますが、枕詞はほとんどが五文字にたいして、序言葉は作者が勝手に作ったものなので、文字数制限がありません。