能楽「船弁慶」


史実と『船弁慶』

  『船弁慶』は「義経都落ち(一一八五)」に取材しているため、実在の事件や人物が、多少脚色されてはいますが、深く関わっています。
  例えば、静との別れは大物浦ではなく、淀川の河口・天王寺。ですが、義経一行が大物浦から九州を目指したのは本当です。平家の亡者が現れたかは定かではありませんが、一行は嵐に遭い、難破してしまうのです。
  そんな『船弁慶』に登場する人物を紹介しましょう。

静御前(一一六五?〜?) 
  もとは京都の白拍子。母は磯禅師。義経が平家を滅ぼして後、愛妾となる。後白河法皇に白拍子として「日本一」の称号を受けたという。
  このころは二十歳。

平知盛(一一五二〜八五) 
  平清盛の四男。武功で名を挙げる。
  壇ノ浦にて奮戦及ばず戦死。「見るべきことは見た。もはや自害しよう」と言い残し、入水した。
  このころは没後(享年三十四歳)

源義経(一一五九〜八九) 
  清和源氏・源義朝の九男。母は常盤御前。平治の乱で義朝が敗れたのち、鞍馬寺に預けられる。兄・頼朝の挙兵に賛同し、型破りな戦法で平家を滅亡に導く。
  このころ二十七歳。この後、奥州に落ち延びるが、藤原泰衡に攻められ、討死したといわれる。

武蔵坊弁慶(?〜一一八九) 
  比叡山延暦寺・西塔に所属していた僧兵。五条大橋で千本の刀を集めていたが、牛若丸(義経の幼名)に敗れ、臣下となったのは有名な話。
  また、奥州に落ち延び、藤原泰衡に攻められたとき、全身に矢を受けながら、立ったまま死んだという「立往生」なども有名。
  能では僧兵というよりも、僧侶らしく、祈りの力で亡者を調伏することが多い。


装束
装束


文掲載(現代語訳付き)

左側が原文、右側が現代語訳です。
下に注釈がついています。

辨慶
従者

地謡
「今日思い立つ*1旅衣。今日思い立つ旅衣気帰洛を何時と定めん

「今日思い立つ旅衣気帰洛を何時と定めん
弁慶
従者
「今日、思いきって旅に出よう。京への想いを断って旅に出よう。都に帰るのはいつになるかはわからないが……
辨慶 「かやうに候者ハ。西塔*2乃傍に住居する武蔵坊辨慶にて候。さても我が君判官*3殿ハ。頼朝乃御代官として平家を亡ぼし給ひ。御兄弟乃御仲日月の如く御座候べきを。言いかひなき者乃讒言*4により。御仲違はれ候事。返す返すも口惜しき次第にて候。然れども我が君親兄乃禮を重んじ給ひ。一まづ都を御開きあって。西國の方へ御下向あり。御身に過りなき通りを御欺きあるべき為に。今日夜をこめ淀より御舟に召され。津の國尼が崎大物乃浦*5へと急ぎ候 弁慶 「拙僧は比叡山延暦寺・西塔の側に住む、武蔵坊弁慶と申す。さて、我が主君である源九郎判官義経殿は、兄・源頼朝殿の代わりとして、平家一門を滅ぼされた。普通ならば、ご兄弟の仲は太陽と月のように互いに無くてはならないものなはず。しかし、つまらない者が義経殿を陥れようと告げ口をしたために、険悪になってしまった。なんとも残念なことである。しかし、義経殿は兄弟に礼を尽くそうと思われた。ひとまず都を離れ、九州へ行って自身の無実を証明しようとのお考え。そこで、夜のうちに淀川を下り、摂津国は尼崎、大物浦へ旅立ったのだ
辨慶
従者
「頃ハ文治の初め*6つ方。頼朝義経不會乃由。既に落居し力なく 弁慶
従者
「文治年間の初めのこと。頼朝と義経の不和は、もはや決定的となってしまったので、しかたなく
義經 「判官都を遠近の。道狭くならぬそ乃前に。西國*7の方へと志し 義経 「私は都を出た。追っ手によって道がふさがれてしまう前に、九州へ向かおうと
辨慶
従者
「まだ夜深くも雲居の月。出づるも惜しき都乃名残。一年平家追討乃。都出にハ引きかへて。たゞ十余人。すごすごと。さも疎からぬ友舟乃
「上り下るや雲水乃身ハ定めなき習ひかな
「世の中乃。人ハ何とも石清水*8。人ハ何とも石清水。澄濁るをば。神ぞ知るらんと。高き御影を伏し拝み。行けば程なく旅心。潮も波も共に引く大物乃浦に。着きにけり大物乃浦に着きにけり
弁慶
従者
「夜遅く、しかも月が雲に隠れている間に、名残惜しくも都を出た。去年の平家追討の折には大軍を率い、威風堂々としていたものだが、今は十数人の親しい者とだけ、こそこそと逃げ出すことになろうとは
「雲や川があてど無く流れるように、人の運命もまた、移ろうものなのだろうか
「世間の人が何を言おうと構うものか。私の心が、岩から湧き出た清水のように澄んでいるか、はたまた濁っているかは、石清水の八幡神のみが知っていらっしゃるのだから。その八幡神の社を拝みながら進むと、日の昇る頃には、潮騒の寄せる大物浦に着きましたぞ
辨慶 「御急ぎ候程に。これハはや大物乃浦に御着きにて候。某存知の者乃候間。御宿の事を申しつけうずるにて候。まずこう御座候へ。 弁慶 「お急ぎになられたので、大物浦につきましたぞ。拙僧、このあたりに知り合いがおりますので、宿の手配をいたしましょう。まず、こちらでお待ち下され


*1‥今日思い立つ【きょうおもいたつ】 「今日」と「京」、「思い立つ(思いつく)」と「想い、立つ(旅立つ)」の掛詞。
*2‥西塔【さいとう】 東塔【とうとう】・横川【よかわ】とともに、比叡山延暦寺の三塔。
*3‥判官【ほうがん】 検非遺使庁次官の通称。義経が幕府の許可なくこの職に任じられたことも、不仲の原因。ちなみに「はんがん」と読むと、『仮名手本忠臣蔵』の塩谷判官=浅野内匠守を指す。
*4‥讒言【ざんげん】 告げ口のこと。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』では梶原景時がした、とされる。
*5‥大物乃浦【だいもつのうら】 尼崎市大物町にあった港。神崎川の河口で、西国往来の発着場だった。
*6‥文治の初め【ぶんじのはじめ】 義経都落ちは文治元年(一一八五)十一月。
*7‥西國【さいごく】 古代の行政区分である「五畿七道」の一つ、西街道の略。九州地方のこと。
*8‥岩清水【いわしみず】 「岩から湧き出た水」と「石清水八幡」を掛けた。八幡神は源氏の氏神でもある。


  「判官殿」とか「武蔵が〜」とか、昔の人は目上の人の名を直接呼ばないようにしていました。自分の名も役職で名乗ったのです。
  このことから誰が偉いのかが見えてきます。
  義経は、「弁慶」「静」と全員を名前で呼ぶことができる立場。一方、静は弁慶を「武蔵殿」と呼んでいます。つまり、弁慶は義経を「判官殿」、静を「静」と呼べる立場にある、ということで、実際にそう呼んでいます。
  義経一行の敵である知盛は、義経をそのまま「義経」と名前で呼べる関係。つまり、対等な位置にいるというのがわかりますね。


辨慶 「まさしく静は御供と見え申して候。是を申し止めばやと存じ候
「いかに申し上げ候。恐れ多き申し事にて候へども。正しく静ハ御供と見え申して候。今の折節何とやらん似合はぬ様に御座候へば。あっぱれこれより御返しあれかしと存じ候
弁慶 「やはり静はお供に加わっていたか。拙僧がお供を止めるように言わなくては
「申し上げます。失礼なことを言うようですが、静がお供に加わっていると見うけました。このような状況に、女性を連れ歩くのは似つかわしくありませぬ。きっぱりと、ここから都へお帰しなされませ
義經 「ともかくも辨慶計らひ候へ 義経 「何事も、弁慶に任せよう
辨慶 「畏って候。さらば静乃御宿へ参りて申し候べし
「いかにこ乃家の内に静乃渡り候か。君よりの勅使に武蔵が参じて候
弁慶 「畏まりました。それでは静の宿に向かおう
「もし、こちらに静はおられるか。義経殿の使いで弁慶が参ってござる
「武蔵殿とハあら思ひ寄らずや。何乃為の御使いにて候ぞ 「弁慶殿がいらっしゃるとは思いませんでした。どのようなご用でございましょうか
辨慶 「さん候只今参る事、餘の儀にあらず。我が君の御諚にハ。これまで乃御参り返す返すも神妙に思し召し候さりながら。只今ハ何とやらん似合わぬ様に御座候へば。これより都へ御歸りあれとの御事にて候 弁慶 「他のことでもない。義経殿が『これまで供をしてくれたこと、ありがたく思っておる。しかし、この状況で女性を連れ歩くのはふさわしくない。ここから都へ帰り、時期を待つがよい』と申されたのだ
「これハ思ひも寄らぬ仰せかな。何処までも御供とこそ思ひしに。頼みても頼みなきハ人乃心なり。あら何ともなや候 「これは考えてもないことを仰せられます。どこまでもお供しましょう、と決めておりましたのに。信頼していても、頼りにならないのが人の心なのでしょうか。ああ、私にはどうしようもないことなのですね
辨慶 「さて御返事をば何と申し候べき 弁慶 「さて、お返事はどう申そうか
「みづから御供申し。君の御大事になり候はゞ留まり候べし 「私がついて参ったために義経様に危機が訪れるならば、ここで留まりましょう
辨慶 「あら事々しや候。たゞ御留りあるが肝要にて候 弁慶 「何と大げさなことを申される。ただただ、留まられるのがよろしいのだ
「よくよく物を案ずるに。これハ武蔵殿の御計らひと思ひ候程に。わらは参り直に御返事を申し候べし 「……よくよく考えてみますと、これは弁慶殿のお取り計らいではないのかしら
「私自身が参りまして、直接お返事いたします
辨慶 「それハともかくもにて候。さらば御参り候へ

「いかに申し上げ候。静乃御参りにて候
弁慶 「それは自由になされるがよい。では、ついて参られよ

「申し上げます。静が参られました
義經 「いかに静。こ乃度思はずも落人となり落ち下る処に。これまで遙々来りたる志。返す返すも神妙なりさりながら。遙々乃波濤を凌ぎ下らん事然るべからず。まづこ乃度ハ都に上り時節を待ち候へ 義経 「おお、静であるか。今回は思わぬ事から落人となってしまったが、ここまで共に来てくれたこと、ありがたく思うぞ。だが、さらに旅を続けるのは、外聞のよいことではない。今は都に帰り、時期を待ってくれまいか
「さてハ實に我が君の御諚にて候ぞや。由なき武蔵殿を怨み申しつる事乃恥かしさよ。返す返すも面目なうこそ候へ 「なんと。本当に義経様の申されたことでしたとは。関係のない弁慶殿を恨むとは、お恥ずかしい。面目ないことでございます


辨慶 「いやいやこれハ苦しからず候。たゞ人口を思し召すなり。御心変るとな思し召しそと。涙を流し申しけり 弁慶 「いやいや、お気になされるな。世間の噂になるのを気にされてのことなのだ
「けっして、義経殿が心変わりされたのではないのですぞ、と涙を流して申し上げた
「いやとにかくに数ならぬ。身にハ怨みもなけれども。これハ船路の門出なるに 「いえ、取るに足らない身ですので、お恨みすることもないのです。ですが、今は船出前なのですよ……
地謡 「波風も。静を留め給ふかと。静を留め給ふかと。涙を流し木綿四手の*1。神かけて変らじと。契りし事も定めなや。げにや別れより。勝りて惜しき命かな。君に二度逢はんとぞ思ふ*2行末 地謡 「波風が《静か》であることを願う船出。それなのに《静》を置いて行かれるのですか。神に誓った愛も、絶対ではないのですね。別れは死ぬほど辛いのですが、その辛さよりも、命が惜しく思えます。生きてさえいれば、いつか再会できるでしょうから
義經 「いかに辨慶 義経 「弁慶よ
辨慶 「御前に候 弁慶 「ここにおります
義經 「静に酒を勧め候へ 義経 「静に酒を勧めよ
辨慶 「畏まって候。げにげにこれハ御門出乃。行末千代ぞと菊乃盃*3。静にこそハ勧めけれ 弁慶 「畏まりました
「これは門出の祝杯であるから、千代まで生きるという菊の盃だと思いなさい、と静に勧めたのだ
「わらはハ君の御別れ。遣る方なさにかき昏れて。涙に咽ぶばかりなり 「私は義経様との別れにやるせない気持ちが募るばかりで、ただただ涙を流すのです
辨慶 「いやいやこれハ苦しからぬ。旅乃船路の門出乃和歌*4。たゞ一さしと勧むれば 弁慶 「その嘆きは当然だ。しかし、これは門出の席でありますぞ。『和歌』を一差し舞って祝福なされ、と勧めたところ
「その時静ハ立ち上り。時の調子を取りあへず。渡口乃郵船ハ。風静まって出づ 「私は立ち上がり、この場の雰囲気にふさわしい曲を選び出して詠います
「『渡し場の定期船は、風が止んでから出航した』
地謡 「波頭の謫所ハ。日晴れて見ゆ*5 地謡 「『波の向こうの流刑地は、日が晴れないと見えぬほどに遠い』
辨慶 「これに烏帽子*6乃候。召され候へ 弁慶 「ここに烏帽子があります。これをお使いなさい
「立ち舞ふべくもあらぬ身乃 「悲しみで舞うことなどできないはずの身が
地謡 「袖うち振るも。恥かしや 地謡 「袖を翻して舞うというのも、あさましいことです


*1…木綿四手【いうしで】 「言う」と「木綿四手(神の枕詞)」の掛詞。
*2…『別れよりまさりて惜しき命かな君に再び逢はんと想えば』(千載集・離別 藤原公任) 藤原有國が大宰府に派遣された時の詠歌。
*3…菊の盃【きくのさかずき】 『菊慈童』を参照のこと。長生きしたい、と静が言うので、これを菊水だと思いなさい、と言っているのですな。
*4…和歌【わか】 ここでは白拍子舞の序曲のこと。
*5…『渡口郵船風静定出、波頭謫所日晴看』(和漢朗詠集・旅行 小野篁) 篁が隠岐に流刑になったときに詠んだ歌。
*6…烏帽子【えぼし】 元服した男子がかぶる。白拍子は男装するのが一般的で、烏帽子・直垂【ひさたれ】を身につけて舞う。
     なお、能楽では烏帽子が左折れで源氏、右折れで平氏を表す。


「傅へ聞く陶朱公*1ハ勾践*2を伴ひ 「言い伝えによりますと、陶朱公は越王勾践をつれて
辨慶 「會稽山*3に籠り居て。種々の智略を廻らし。終に呉王*4を亡ぼして。勾践乃本意を。達すとかや
「然るに勾践は。二度世を取り會稽の恥を雪ぎしも。陶朱功をなすとかや。されば越乃臣下にて。政事を身に任せ。功名富み貴く。心の如くなるべきを。功成り名遂げて身退くハ天乃道と心得て。小船に掉さして五湖乃。煙濤を楽しむ
弁慶 「会稽山に立て籠もり、様々な計略を巡らし、最後には呉王夫差を討ち取り、勾践の願いを叶えたとか
「勾践は再び天下を取り、呉王に復讐を果たしたのですが、これも陶朱公の功績というものです。公は越王の重臣として政治、名声、財産、身分は思いのままだったでしょう。しかしながら、もはや自分の為すことは終わり、引退するのが天の道であると悟っておられました。ですから、その晩年には太湖に小舟を浮かべ、ゆっくりと風景を楽しんだのだそうです
「かゝる例も有明の 「このような例えもございますから
地謡 「月の都をふり捨てゝ。西海乃波濤に赴き御身乃科のなき由を。嘆き給はゞ頼朝も。終にハ嘆靡く青柳乃。枝を連ぬる御契り。などかハ朽ちし果つべき
「たゞ頼め
地謡 「月のように美しい都を出て、西海の荒波にもまれ、無実を主張なされるのならば、頼朝殿とても、お聞き届け下さるでしょう。ご兄弟の仲は、根下が同じ青柳のように朽ちることなど無いのですから
「『ただ頼め
「たゞ頼め。標茅が原のさしも草 「『ただ頼め 標茅が原の さしも草』
地謡 「われ世乃中に。あらん限りハ*5 地謡 「『我世の中に あらん限りは』
「かく尊詠の。偽りなくハ 「このように詠われた仏心に,
嘘がないならば
地謡 「かく尊詠の偽りなくハ。やがて御代に出船乃。舟子ども。はや纜をとくとくと。はや纜をとくとくと。勧め申せば判官も。旅乃宿りを出で給へば 地謡 「この尊詠に偽りがないならば、やがて世に認められることもありましょう。
 こう言ううちに、出航に時間となり、船乗りたちが艫綱をほどき始めてしまいました。ほどき始めてしまいましたから、弁慶たちも乗船を勧めます。やがて、義経も宿を出て行かれましたので
「静ハ泣く泣く 「私は泣く泣く
地謡 「烏帽子直垂脱ぎ捨てゝ。涙に咽ぶ御別れ。見る目も哀れなりけり見る目も哀れなりけり 地謡 「烏帽子と直垂を脱ぎ捨て、涙にむせびながらのお別れの様子。はた目にも可哀相な有様なのです。なんと哀れなことでしょう


*1…陶朱公【とうしゅこう】 越の功臣・氾蠡【はんれい】の退官後の名前。
*2…勾践【こうせん】 春秋戦国時代の越王。臥薪嘗胆などの故事で有名。
*3…会稽山【かいけいざん】 中国浙江省紹興県の東南にある山。呉越戦闘の地。呉によって滅ぼされた越が再起し、逆に呉を滅ぼした。仇を討つことを、「会稽の恥をすすぐ」というのはここから。
*4…呉王【ごおう】 夫差。春秋戦国時代の呉王。臥薪嘗胆などの故事で有名。
*5…『なお頼め標茅が原のさしも草我世の中にあらん限りは』 清水観音が詠んだ歌とされる。「心短き衆生よ、私が今世にいる限りは、私に救いを求めなさい」といった意。 


船頭 「さてもさても。哀れなる事かな。只今静の君に名残を惜しませらるる体を見申し。我ら如き者までも。そぞろに涙を流し申して候。また君の御諚には。はるばるの波濤を凌ぎ伴わん事人口しかるべからずとの御事。これは御尤もなる御事にて候。まことに鬼神よりも恐ろしき。平家を滅ぼし給ふ上は。御兄弟の御仲日月の如くに御座あるべきを。いかようなる者の讒言申して候やらん御仲違わせられ。西国の方へ御下向なされ候ふ御事。不思議なる御事にて候。さりながら。上は御同一体の御事なれば。おっつけ御仲直らせられ。御上洛なさりょうずるは疑いもなく候。イヤ、言われざる独り言を申さずとも。最前武蔵殿に御座船のこと仰せつけられて候ほどに。いかにも足の速き御船を用意し仕りて候間。この由武蔵殿へ申しあぎょう
「いかに武蔵殿へ申し候
船頭 「さてさて、ただいま静御前が義経様にお別れを申し上げている様子を拝見し、私のような者までも、もらい泣きをしてしまいました。また、辛い旅に静御前を伴うなど、世間に何を言われるかわからない、とのこと。全くその通りでございます。また、鬼よりも恐ろしい平家を滅ぼされたのですから、頼朝様・義経様ご兄弟の仲は太陽と月のように無くてはならないもの。何者が告げ口したかのかは知りませぬが、仲違いをなされて、九州へ落ちて行くことになろうとは、理解に苦しむことであります。とは言っても、ご兄弟には変わりありませんから、やがて仲直りなされ、都に上られることは間違いないでしょう。いやいや、このような独り言を言っている場合ではない。先ほど弁慶殿に船を用意するよう命令されましたので、速船を用意しました、と弁慶殿に申し上げよう
「弁慶殿に申し上げます
辨慶 「何事にて候ぞ 弁慶 「何事であるか
船頭 「只今静の君に名残を惜しませらるる体を見申し。我ら如き者までも。そぞろに涙を流し申して候が。武蔵殿には何と思し召され候ぞ 船頭 「ただいま、静御前のお別れの様子を伺いまして、私のような者までももらい泣きをしてしまいました。弁慶殿はどう思われましたか
辨慶 「何と只今の体を、方々もそれにて見られたると候や。武蔵も涙を流して候。また君の御諚にも。遙々の波濤を凌ぎ伴われん事。人口然るべからずとの御事。是も最もにては候はぬか 弁慶 「なんと、ただいまの様子をお主も見た、と言うのか
「拙僧も涙を流してしまった。義経殿の申されるように、このような旅に女性を伴うなど、世間に何を言われるかわからぬ、とのこと。当然ではないか
船頭 「げにげに御尤もなることにて候 船頭 「まことにその通りでございます
辨慶 「また最前申しつけたる船をば用意せられて候か 弁慶 「そういえば、先ほど頼んだ船は用意ができておるか
船頭 「いかにも足の速きお船を用意仕りて候ほどに。何時にても御諚次第出し申そうずるにて候 船頭 「もちろんです。速船を用意しておきました。命令が有ればいつでも出航できます
辨慶 「軈てお船を出さうずるにて候 弁慶 「やがて出航になるであろう
船頭 「心得申して候 船頭 「畏まりました
従者 「いかに申し候 従者 「申し上げます
辨慶 「何事にて候ぞ 弁慶 「どうかしたか
従者 君より乃御諚にハ。今日ハ波風荒く候程に。御逗留と仰せ出だされて候 従者 「義経殿が申されるには、今日は波風が荒れているので宿泊したい、とのことであります
辨慶 「何と御逗留と候や 弁慶 「なに、ご宿泊なされるとな
従者 「さん候 従者 「その通りであります


辨慶 「これハ推量申すに。静に名残を御惜しみあって。御逗留と存じ候。まづ御思案あって御覧候へ。今この御身にてかよう乃事ハ。御運も盡きたると存じ候。その上一年渡邊福島*1を出し時ハ。以って乃外の大風なりしに。君御船を出し。平家を亡ぼし給ひし事。今以って同じ事ぞかし。急ぎお船を出すべし 弁慶 「これは拙僧の考えだが、静に未練があって宿泊したいと申されておるのではないだろうか。まあ、落ち着いて考えてもみよ。今、このような追われる身となってまで女性に未練を残しているようでは、義経殿の命運もこれまでであろう。なにより、去年の平家追討の際に渡辺・福島を出航したときは、大嵐であったのだぞ。お陰で平家を滅ぼせたようなものだ。今もそれと同じ事であろう。さあ、船を出すぞ
従者 「げにげにこれハ理なり。何処も敵と夕波乃 従者 「なるほど、これは筋が通っております。どこに敵がいるかわかりませんからな
辨慶 「立ち騒ぎつつ舟子ども 弁慶 「船乗りたちに指示を出せ
船頭 「畏まって候 船頭 「畏まりました
地謡 「えいやえいやと夕汐に。つれて船をぞ。出しける 地謡 「えいや、えいや、と言うかけ声とともに、満潮にも関わらず、船を漕ぎ出したのです
船頭 「皆々御船に召され候へ
「武蔵殿にも召され候へ
「さあらば御船を出し申そう。シー。エーイ、エーイ。エーイ、エーイ。さて、武蔵殿に申し候。今日は君の御門出の船路に。一段の天気にてめでとう候
船頭 「皆様、船へお乗り下さい
「弁慶殿も船にお乗り下さい
「さあ、お船を出しますぞ。シー。エーイ、エーイ。エーイ、エーイ。ところで弁慶殿、今日は義経様の出航の日とあって、大変良い天気ですな
辨慶 「今日は日本一の天気にて君も御機嫌にて候 弁慶 「まことに、日本晴れで義経殿の機嫌もよろしい
船頭 「エーイ、エーイ。エーイ、エーイ。さてこの御座舟には屈強の水夫共を選って乗せ申して候が、武蔵殿には何と御覧ぜられて候ぞ 船頭 「エーイ、エーイ。エーイ、エーイ。そうそう、この、義経様が乗船なされる船には選りすぐりの水夫を乗せましたが、どのようにご覧になられますか
辨慶 「一段と櫓手が揃い。武蔵も満足申して候 弁慶 「ひときわ漕ぎ手が揃っていて、良いことだ
船頭 「イヤ、武蔵殿が左様に仰せらるれば近頃満足にて候。エーイ、エーイ
「さて武蔵殿にちと訴訟申したき事の候が。これは何と御座あろうずるぞ
船頭 「いやはや、弁慶殿にそう言っていただけると、大変うれしゅうございます
「さて、弁慶殿に少々、頼み事がございますが、よろしいですか
辨慶 「それは如何やうなる事にて候ぞ 弁慶 「どのような用件かな
船頭 「イヤ。別なることにてもなく候。ただいままでは御仲違はせられ。西国へ御下向なされたるが。おっつけ御仲直らせられ。御上洛なさりょうずるは疑いも御座ない。その折節。この西国の海上の舵取りを。某一人へ。仰せつけらるるよう申し事にて候が。これは何と御座ありょうずるにて候 船頭 「いえ、大したことではございません。今のところは仲違いなされ、九州へ落ち延びてはおられますが、ご兄弟のことです。すぐに仲直りなされて都へお帰りになるのは間違いありません。そうなった時、九州への水運を、私一人に取り仕切らせていただけませんか


*1…渡邊福島【わたなべ・ふくしま】 ともに大阪市内の地名。屋島へ出陣したときの港。
     このとき、梶原景時と軍略で対立したことが、景時の讒言につながったといわれる。


辨慶 「随分取り敢えず申し上げ候 弁慶 「申し上げておこう
船頭 「イヤ。近頃ありがたう候。エーイ、エーイ。
「さりながら只今は御身のご用の時は。いかやうにも御約束なさるけれども。おぼしめし叶ふようならば。えて忘れさせらるる者にて候ふが。必ず御失念なきよう頼み存ずる
船頭 「ありがたいことです。エーイ、エーイ
「とはいえ、今は自分に必要な者だから、と約束しておきながら、いざ願いを叶える段には忘れ去られているものですが、どうぞお忘れにならないで下さい
辨慶 「いやいや武蔵に限って。失念はあるまじく候 弁慶 「弁慶に限って、忘れることなどない
船頭 「イヤ。武蔵殿の左様仰せらるれば。某が訴訟はざっと済んだと申す者じゃ。エーイ、エーイ
「ヤア。今までそっとも見えなんだが。あの武庫山*1の上へ何やらむつかしい雲が出たが。いつもあの雲が出ずればえて風になりたがるものじゃが。今日はなにとぞ。風にならぬよういたしたいものじゃ。エーイ、エーイ
「イヤ。さればこそ。押し出すわ押し出すわ。少しの内に雲を押し出し。その上風も変わり海上の体が荒うなった。皆々精を出して押し候へエーイ、エーイ
船頭 「いや、弁慶殿がそうおっしゃるならば、私の願いはほとんど叶ったようなものですな
「おや、今まで全く見えなかったが、武庫山の上に、何やら嫌な雲が出た。いつもあの雲が出ると風が強くなるのだ。今日は風にならないと良いのだが。エーイ、エーイ
「やや、そう言ううちに、出てきた、出てきた。ほんの少しの間に雲が出て、風向きも変わり、波が出てきた。エーイ、エーイ
辨慶 「いかに船頭。風が変わって候。ずいぶん精を出し候 弁慶 「船頭よ、風が変わったぞ。一所懸命に漕ぐのだ
船頭 「イヤ。船頭自身。櫓にとりついたからハ。いかやうなる波風なりとも押し切って参らう程に。そっともお気遣いなさるまい。エーイ、エーイ
「イヤ。さればこそあれから大きな波が打ってくるハ。ありゃ。波よ、波よ波よ。叱れ、叱れ、叱れ叱れシーィ、シシシシシ、シーィ
「エーイ、エーイ。さてかやうに申せば。定めてかしましう思し召されうが。波と申すはやさしきものにて。叱ればそのまま静まるものにて候。エーイ、エーイ
「イヤ。さればこそ。またあれからしたたかに波が打ってくるハ。ありゃ。波よ、波よ波よ。叱れ、叱れ、叱れ叱れシーィ、シシシシシ、シーィ
船頭 「私も船頭の端くれです。櫓を握ったからには、どんな波風であっても、押し切って見せましょう。少しも心配なされることはない。エーイ、エーイ
「やや、そう言ううちに、あちらから大きな波が来るぞ。波よ、波よ波よ。叱れ、叱れ叱れシーィ、シシシシシ、シーィ
「エーイ、エーイ。こういうとうるさく思われるでしょうが、波という物は扱いやすい物で、叱れば大人しくなるのです
「やや、そう言ううちに、またむこうから波が来るぞ。波よ、波よ波よ。叱れ、叱れ叱れシーィ、シシシシシ、シーィ
辨慶 「あら笑止や風が変わって候。あ乃武庫山颪弓弦羽が獄*2より吹き下す嵐に。この御船乃陸地に着くべき様もなし。皆々心中に御祈念候へ 弁慶 「おや、おかしい。風が変わったようだ。武庫山や譲葉岳から来る吹き来る風によって、船が陸に着けそうもないではないか。皆の衆、風が変わるように祈るのだ


*1…武庫山【むこやま】 現在の六甲山のこと。武庫山颪(おろし)は六甲颪のことですね。
*2…弓弦羽が獄【ゆずりはがたけ】 六甲連邦の一つ、譲葉岳。


従者 「いかに武蔵殿に申し候 従者 「弁慶殿、大変です
辨慶 「何事にて候ぞ 弁慶 「どうした
従者 「こ乃御船にハ妖怪*1が憑いて候 従者 「この船には妖怪が憑いておりますぞ
辨慶 「あゝ暫く。さやう乃事をば船中にてハ申さぬ事にて候 弁慶 「待て。船の中ではそのような不吉なことを言うものではない
船頭 「ヤラここな人が。最前船にお乗りゃる時から。なにやら一言おしゃりたそうな口元であったが。案の如くしたたかな事をおっしゃる。船中にて左様なことは申さぬ物にて候 船頭 「おやおや、この人は先ほど船に乗ったときから、何か言いたそうにしておられたが、思った通り、大変なことを言いよった。船の上ではそのような不吉なことは言うものでありませんぞ
辨慶 「この者船中不案内の者にて候間。何事も武蔵に免じ給はり候へ 弁慶 「船の習慣に不慣れな者なので、弁慶の顔に免じて許されよ
船頭 「いや、武蔵殿が仰せらるによって申そうでは御座無いが。あまりのことをおっしゃるによっての事にて候。エーイ、エーイ。エーイ、エーイ
「ヨウ、さればこそ又あれから。山ほどの波が打って来るハ。ありゃ、波よ、波よ、波よ。叱れ、叱れ、叱れ叱れシーィ、シシシシシ、シーィ
船頭 「弁慶殿がそう申されるのならば、何も申しませんが、あまりに酷いことを言われたのでな。エーイ、エーイ。エーイ、エーイ
 むむ、そうこうするうち、またあちらから大きな波が来るぞ。波よ、波よ波よ。叱れ、叱れ叱れ。シーィ、シシシシシ、シーィ
辨慶 「あら不思議や海上を見れば。西國にて亡びし平家乃一門。各々浮かみ出でたるぞや。かゝる時節を窺ひて。恨みをなすも理なり 弁慶 「なんと不思議なことか。海の上に壇ノ浦で滅んだ平家一門が浮かび上がってくる。このような隙をついて恨みを晴らそうというのは、もっともなことだ
義經 「いかに辨慶 義経 「弁慶よ
辨慶 「御前に候 弁慶 「こちらにおります
義經 「今更驚くべからず。たとい悪霊恨みをなすとも。そも何事乃あるべきぞ。悪逆無道のそ乃積り。神明佛陀乃冥感に背き。天命に沈みし平家の一類 義経 「今更驚くことではなかろう。例え悪霊が恨みを晴らそうと言っても、なんの力が有るであろうか。まして、悪の限りを尽くしたその報いをうけ、神仏の裁きに背いたために滅んだ平家一門ではないか
地謡 「主上*2を始め奉り一門の月卿雲霞の如く。波に浮かみて見えたるぞや 地謡 「安徳天皇を先頭に担ぎ上げ、平家一門の公卿たちが雲や霞のごとく、波の上に見えるのです


*1…妖怪【あやかし】 海上に出る妖怪で、ここでは舟幽霊のこと。海上で死んだ者の魂が、仲間をとるために現れる。主に長門・瀬戸内に現れることから、平家の亡者だともいわれる。
    「ひしゃくを貸してくれ」と要求されるが、貸すと船に水を入れられ、沈められてしまう。出会った時には底の抜けたひしゃくを貸すこと。
*2…主上【しゅじょう】 天皇のこと。ここでは平家一門と運命をともにした安徳天皇。 


知盛 「そもそもこれハ。桓武天皇九代乃後胤*1。平乃知盛。幽霊なり。
「あら珍しやいかに義經。思いも寄らぬ浦波乃
知盛 「我こそは、桓武天皇から数えて九代の子孫、平知盛の幽霊である
「おや、珍しいことだな、義経ではないか。このような所で逢うとは思わなかったぞ
地謡 「聲をしるべに出船乃。聲をしるべに出船乃 地謡 「亡者は、浦波の間から聞こえてくる、義経たちの船出の音を頼りに、現れたのです
知盛 「知盛が沈みしその有様*2 知盛 「わしが壇ノ浦に沈んだのと同じように
地謡 「また義經をも海に沈めんと。夕波に浮かめる長刀取り直し。巴波乃紋*3邉を拂ひ。潮を蹴立て悪風を吹きかけ。眼も眩み。心も乱れて。前後を忘ずるばかりなり 地謡 「今度は義経を海に沈めてくれよう、と夕日に輝く波に浮かべてあった長刀を取り上げ、巴波の紋所のように得物を振り回し、潮を蹴立て、妖気を吹きかけてくるので、義経一行は目がくらみ、混乱に陥ってしまい、茫然とするばかりなのでした
義經 「そ乃時義經少しも騒がず 義経 「そのとき、私は少しも動揺しておらず
地謡 「その時義經少しも騒がず。打物*4抜き持ち現乃人に。向ふが如く。言葉を交わし。戦ひ給へば。弁慶押し隔て打物業にて叶ふまじと。數珠さらさらと押し揉んで。東方降三世。南方軍茶利夜叉。西方大威徳。北方金剛叉明王。中央大聖。不動明王乃索にかけて。祈り祈られ悪霊次第に遠ざかれば。辨慶舟子に力を合はせ。お船を漕ぎ退け汀に寄すればなほ怨霊ハ。慕ひ来るを。追っ拂い祈り退けまた引く汐に。ゆられ流れ。また引く汐に。ゆられ流れて。跡白波とぞ。なりにける 地謡 「義経は少しも騒がず、するりと太刀を引き抜いて、生きている人と立ち向かうように名乗りを上げ、戦われたのです。そこへ弁慶が割って入り、武器では敵いますまい、と申して数珠を取り出しました。そして「東方守護の降三世明王、南方守護の軍茶利夜叉明王、西方守護の大威徳明王、北方守護の金剛叉明王、そして中央におわします大聖不動明王よ、索の縄にて、悪霊を縛り給え」と祈りました。
 すると、悪霊たちは次第に遠ざかっていくのです。弁慶は船乗りたちと力を合わせ、船を漕いで岸辺に逃げたのですが、悪霊たちはまだ追って来ます。それを追い払い、祈り祓っていると、悪霊たちは折からの引き潮に流されて岸から離れて行き、その跡にはただ、白波が残るだけなのでした。


*1…九代の後胤【くだいのこういん】 九代後の子孫、の意。知盛は、桓武天皇の第五皇子から九代の後胤にあたる平正盛の孫なので、正解には十三代の後胤。平清盛の子、甥が同世代に当たる。
*2…知盛が沈みしその有様に【とももりがしずみしそのありさま】 壇ノ浦に追いつめられた平家一門は、次々と入水した。中でも知盛は「私は泳ぎが得意だから、生き延びてしまうだろう」と言って、鎧二領(約六十キロ)を着て入水したという。また、能都守教経は源氏方の武士二人を抱えて沈んだと言われる。
*3…巴波乃紋【ともえなみのもん】  
     
*4…打物【うちもの】 打って鍛えた刃物。刀、長刀、槍など。