第三回 淡海能


成十年十月十四日(水)正午始 
 於 彦根城博物館能舞台
   第三回 淡海能

 素謡 橋弁慶

 舞囃子 高砂
       小袖曽我

 仕舞 胡蝶
     猩々

 舞囃子 融
       鞍馬天狗
 
 招待校出演 佛教大学能楽部

 顧問出演舞囃子 三輪白式神神楽

 招待校出演 京都橘女子大学能楽部

 番外仕舞 三井寺
        天鼓

 能楽 竹生島

 附祝言
 終了予定 十六時十五分頃
      主催 滋賀県立大学能楽部
           指導  深野新次郎



  長挨拶
                             滋賀県立大学学長 日高 敏隆


  能というのはこういうものだ、その能のよさ、美しさをわからなくてはだめだ、というのが能を見たり舞ったりするときの心得であろう。
  それはもちろんよくわかるのだが、どうもすなおについていけないのが能のテンポである。あのゆっくりした動きは、少なくともわれわれの現代のテンポとはかけ離れている。能が生まれたころの人々は、そういうテンポをどう感じ、どう受けとめていたのだろうか? ぼくは昔からそれが気になってしかたがなかった。
  能の関係者にこの疑問を話してみると、いろいろな答えがかえってくる。
  たとえば、「昔の生活のテンポがゆっくりだったから、あれでいいんです」と。
  たしかにそうかもしれない。今はすべてにおいてテンポが早すぎる。西洋音楽だって、少し前まではもっとゆっくりしたものだった。日本の歌だってそうだ。ひと昔前に流行ったフォークなど、なんとゆっくりとしたものだったか。ベトナム反戦デモのとき、あの「ウィ・シャル・オーバーカーム」というフォークのテンポが、僕らの歩く速さと一致せず、すごく困惑したことを思い出す。
  しかしそれなら、能と並んで演じられる狂言のテンポは何だろう?そして、能の「のった」ときの鼓や謡の早いテンポは何なのだろう? 「のりをはずす」ということは、べつにテンポをおそくすることではない。
  その一方、こういう説明も聞いたことがある。「能のテンポはけっしておそくなんかないのですよ。ほんのちょっと歩くか舟を漕いだかと思うと、早や武蔵の国に着きにけるう、と謡が言ったりするんですから。」
  これもたしかにそうだ。謡に述べられたとおり、あっという間に場所は変わり、ときにタイムスリップさえしている。次の幕に変えたり、最新の回り舞台を使ってそれを示す演劇やオペラとは、同じ舞台芸術なのに、まるで違うのだ。
  しかし能のおおかたの舞のテンポにはついていけないときがある。謡のことばを聞いて状況的把握をしているつもりでも、やはり苦痛を感じることさえある。やはりぼくが能の楽しみ方を会得していないからだろうか?



顧問挨拶
          淡海能によせて
                             滋賀県立大学能楽部顧問 脇田 晴子


  淡海能も今年で三回目を迎える。一回生から能楽部を結成した学生たちが、もうはや四回生になって、やがては卒業を迎える事になった。それを記念して、今年は能楽を上演する事になった。まさに快挙というべきである。
  能楽部で能楽を上演することが、快挙というと不思議に思われるかもしれない。これまでの会は、能楽の一部分というべき謡や、舞の一部分を舞う仕舞、それに囃子が付く舞囃子であった。能楽というのは、能面を着けて、重たい立派な装束をつけて、お囃子に囃してもらって全曲を舞うのである。いわば、音楽会でアリアを歌っていたのが、オペラに挑戦するようなものである。おめでとう! 成功を祈っています。
  曲目は、近江の能楽「竹生島」。近江に住む人なら琵琶湖にぽっかり浮かぶ竹生島を知らない人はないだろう。しかし、能楽「竹生島」を見た人や、そのあらすじを知っている人は少ないだろう。すじはこのパンフに書かれていると思うからはしょって、簡単にいえば、竹生島の霊験あらたかさを聞いて派遣されてきた勅使の前に、湖水の龍王と竹生島祭神の弁財天が前場では仮りの姿を現し、後場には本当の姿を現して舞を舞う、という話である。私が面白いと思うのは、里の女に化身した弁財天が、島に上がっていくと勅使が咎めて、女人禁制ではないのかというと、女は「弁財天は女体にて、その神徳もあらたなる天女と現じおはしませば、女人とて隔てなし、ただ知らぬ人の言葉なり」といって、社壇の扉をあけて入っていった、というところである。
  この曲ができた中世後期は、狂言にも見られるように、女の力が上がってきた時代である。商売などでお金をためた女が、殊に近江では多かったと思われる。その人たちの信仰を結集して参詣をさせ、浄財を寄付してもらおうと、女の人々に強く呼びかけたのが、この曲の歴史的な背景だと思うのである。今も盛んな竹生島の蓮華会という祭りの初期のもので、現存最古の蓮華会の弁財天は、このあたりの戦国大名浅井久政(お市の夫の長政の父)の生母の永禄九年(一五六六)の銘がある。今は男性主導の蓮華会だが、この頃は女の人が主になって祭りを執り行うこともあったのである。
  能楽「竹生島」は、そんな琵琶湖の歴史を体現している。淡海能初演にふさわしい曲目である。
  なおその他、三回生以下の数々の曲目の力演もある。私も学生と一緒になって(?)舞うことになっている。皆さん、ぜひじっくり見てください。



謡・橋弁慶


  世に有名な武蔵坊弁慶さんは比叡山の西塔の傍らに住んでいました。今夜は以前からの願いを込めての参詣の最終日です。さぁ今夜もはりきって行こう、とする弁慶さんにお供の方は言います。
  「近頃、五条の橋の上に十二、三歳の少年が現れ、小太刀を使い、人間離れした素早さで人を斬っているのです。危険ですので、今夜はお止め下さい。」
  そこで弁慶さん、今夜は止めとこうかなー、と思いますが、ここで逃げては男がすたる。俺がその少年を捕まえてやろう、と思い直します。
  やって来ました橋の上。噂の少年こと牛若丸くんは人を斬る行為を母に諌められ今夜限りで都を去ることになっていました。女装して誰か通らないかと待っています。弁慶さんはお坊さんですので女性とは関わらないように通り過ぎようとしたところ、突然長刀の柄を蹴り上げられます。
 「何をする! 馬鹿者めが、目にもの見せてくれるわ!」
チャンチャンバラバラチャンバラバラ。二人の戦いが始まります。しかし牛若丸くんの身軽さ、素早さに弁慶さんは苦戦します。そして正体を聞かずにはおれなくなり、少年が源氏の血筋の者と知るのです。降参した弁慶さんは、牛若丸くんの位も氏も健気さもすっかり気に入り家臣にしてもらいましたとさ。

  源義経と武蔵坊弁慶の堅く結ばれた主従関係は有名ですね。頼朝に追われる義経一行が関所を通るとき、正体がばれそうになったので
 「おまえが源義経に似ているから疑われたではないか!」
と、弁慶が心で泣く泣く義経を痛めつける話とか。義経を守るため弁慶は五十二本の矢を受けて立ちながら絶命した話とか。美しい主従愛ですねぇ。主従の縁は三世の機縁ともいって、前世・現世・来世を通じてつながっているそうです。ちなみに親子は一世、夫婦は二世の縁ですので主従関係がいかに深く固いものか分かりますね。恋人は戦場に連れていくことはできないけれど家臣はいつも一緒、死ぬときも一緒になったりします。信頼し合ってないと主従関係は成り立ちません。義経と弁慶はちゃんと主従関係を結べてよかったですね。なにせ一日ずれたら義経は都を去り、弁慶は参詣が終わっていたのですから。運命の二人ですね。

<四期生 K.K>



囃子・高砂


  季節は春、肥後国阿蘇の神主友成が都に上る途中、播磨国の高砂の浦に立ち寄り松を眺めていました。そこへ白髪の老人夫婦が来て、松の木陰を掃き清めます。友成はその老夫婦に高砂の松というのはどれかと尋ね、また高砂の松と住吉の松とは国を隔てているのになぜ相生の松と呼ばれるのか、その理由を尋ねます。

  「山川萬里を隔つれども
       互いに通う心遣いの妹背の
                   道は遠からず」

  老人は夫婦の愛情を説き、さらに様々な故事などを引いて高砂の松のめでたいいわれを教えます。やがて自分たちがその相生の松の精であることを明かして、住吉にてお待ちしますといい、舟に乗って沖の方へ消えてゆきます。
 そこで友成も舟に乗り、住吉へと急ぎます。住吉に着くと、先ほどの老人が住吉明神として本体を現し、御代萬歳、国土安穏を祝し、颯爽とめでたく舞を舞います。

  私は実際に〈相生の夫婦松〉を見てみたくなり、兵庫県高砂市へと行って参りました。JR姫路駅から山陽電鉄に乗り換え、高砂駅で降ります。そこから歩くこと十五分。高砂の古い町並みを抜け、着いたよ着いた高砂神社。気ぜわしい市街地から外れた海岸寄りに、ひっそりとその神社はありました。
  古くから縁結びの象徴として知られた相生の松は幾度か枯れて、今は五代目が形を整え始めています。能楽『高砂』でいう相生の松は〈高砂の松〉と〈住吉の松〉の二本の松のことなのですが、そこで見た松はクロマツとアカマツがくっついた双生樹でした。相生という名の通り、寄り添い、そろって成長していく松なのですね。今でもこの仲良し松の前で結婚式が挙げられるそうです。きっとその席上では夫婦愛と長寿の理想をあらわしためでたい曲、『高砂』の一節が朗々と謡われているのでしょう。
  それにしても残念なことに、海岸一体には工場が建ち並び、友成が眺めた白砂青松の美しい高砂の浜を見ることはできませんでした。「誰をかも知る人にせん高砂の松も昔の友ならなくに」昔の人はどのような景色を見て、歌を詠んでいたのでしょうか。

<一期生 A.Y>



囃子・小袖曽我

  相舞で舞囃子ができる嬉しさにはしゃいでいた私達。その大変さに気づくことなく「やります!」と声を合わせていたっけ……。とにかく二人で一つ。二人いないと始まらない。思いのまま、とは言語道断。いかに合わせるべきか。−兄弟、仲良き事は美しい事かな(?)。

兄・曽我十郎祐成(すけなり) 
  私の弟・五郎の勘当が解かれた。それにしてもここに至る道のりの長かったことといったらない。私達曾我の兄弟が父上の仇を討たんがため母に別れを告げようと、こうして訪ねはしたものの、母上の説得にこれほどの時が経とうとは。
  ――確かに母上は五郎を出家させるつもりであった。しかしだからといって五郎を勘当なさるとは。母上にはどうして解らぬのか。私達兄弟はどうしても父上の仇を討ちたいのだ。この度行われる富士での狩りに参加して、あの父上の仇・工藤祐経を討とうと決めたのだ。そのために五郎は元服した。もう二人の決意は決して変わらない。
  私のあまりのしつこさに、いや私達兄弟の心がようやく母にも通じて、勘当を解かれた五郎と私はその嬉しさに涙を流した。そして狩り場への門出を祝う宴が催されると、母上と喜びの酒を酌み交わし、兄弟で相舞を舞って私達はいざ狩り場へと赴くのであった。

  弟・五郎には本当に迷惑をかけました。ごめんね、ウッチー。こんな私がまさか相舞を舞わせてもらえて、しかもお兄さんだなんてね。
  私もいつの間にか四回生。深野先生に心から感謝を込めてお礼をできるよう、今まで一番納得のいくものであってほしいナ。
  みんなありがとう。そしてこれからもよろしくね。
<一期生 M.K>

弟・曽我五郎時致(ときむね)
  弟・五郎時致を舞わせていただきます。でかい方が弟です。わははは。
  『小袖曽我』のお話については兄・十郎祐成(M.K)が説明していますので、私は『小袖曽我』とはあまり関係のない話を。

  この兄弟の仇討ちには、単純な復讐ではないのでは? という見方もあるんです。五郎が元服した時の烏帽子親は後に執権として権力を握る北条時政で、討たれた工藤祐経は源頼朝のお気にいりの家臣。……ウラで政治が動いていてもおかしくない設定ですな。しかも仇討ちの際、五郎は捕らえられた後に処刑されてしまいました。十郎二十一歳、五郎十九歳の時です。彼らのあまりに早い死とすさまじい生涯を知って、私も「もっともっと頑張らねば」と思うのでした。

  さて舞囃子です。相舞です。正直、ここまで難しいとは思いませんでした(泣)。うまくいくといいけどなあ。
  努力の成果、見ていただけると嬉しいです。

<二期生 C.U>



舞・胡蝶


  昔々、ある旅の僧が都を訪れました。ちょうど梅の花が満開の季節でした。その美しさに見とれていると、どこからともなく一人の女性が現れます。女性はその梅のいわれを語り、『新古今和歌集』の梅花の歌を引いたりします。そして自分の正体を明かします。
「私は実は人間ではなく胡蝶の精です。多くの美しい花達と心を通わせ、戯れることができます。けれど暖かくならないと生まれることができないのでまだ寒い季節に咲く梅の花とだけは縁を結べないのです。」そう嘆いて消え去ります。
  旅僧は胡蝶の精のためにお経を唱えます。やがて彼女は再び僧の前に姿を現します。
「あなたと仏様の慈悲深いお力添えによって念願の梅の花とも戯れることができました。本当にありがとうございます。」幸せ一杯の彼女は成仏し、歌舞の菩薩の面影を残して霞の中に消えるのでした。

  あらまぁ、それはよかったねぇ、というのが私の最初の感想です。いえ、最初はストーリーも聞かずこのお仕舞をするのを決めたのです。胡蝶の精という役柄の美しさと、くるくるまわってかわいい動きやで、という先輩方の言葉に惹かれたので・・・・・・。少女趣味がばれるなぁ。似合わへんって言わないで下さいね。
  さて、芸術の価値というのは上手、下手ではなくてその世界(物語)をあたかもそこにあるように表現できるかできないかで決まるそうです。だから私も夢がかなった喜びを体全体で表現し、胡蝶の美しさを見る人に訴えるよう・・・・・・努力はします。

<四期生 K.K>



舞・猩々


  皆さん今日は。(ワタクシ)、この会での仕舞が初舞台となるものでございます。何ゆえ初めてなものですから拙い部分が多々ありますでしょうがご了承ください。
 
  猩々とは海中にすむ、少年の姿をした酒好きの妖精さんです。このお話の舞台は中国でして、金山の麓、揚子江の(ほとり)にすむ高風という大層親孝行な兄ちゃんがでてきます。彼はある日、市に出て酒を売ればお金持ちになるという不思議な夢を見、その通りにするとなんとまぁ本当にお金持ちになっていきました。もう一つ不思議なことに、市ごとに来て酒を飲むやつ(・・)がいたのですが、こやつ、いくら飲んでも顔色一つ変えない。不審に思い名を聞くと、猩々だと答えました。
  高風は月の美しい夜に潯陽の江に行き、菊花の酒を壺にたんまりと入れて待ちます。すると、お酒欲しさ、お友達逢いたさに猩々が海中から浮かび出て、二人は仲良く楽しくお酒を酌みかわします。
  (あし)の中を吹き抜ける風の音を笛、波の音を鼓と見立てて舞を舞い、孝行者の兄ちゃんに「汲ぅめどぉもぉ尽ぅきぃ」()酒壺を与えて猩々は消えたのでした。

  この猩々は(かしら)も面も装束も扇もことごとく赤く、ただ足袋だけが白という姿で舞うそうです。情熱に燃えさかり、赤をこよなく(?)愛する若人たる(ワタクシ)にはぴったりの演目なのでございますね(ウフ)。

<四期生 S.H>



囃子・融


  あやめ会に引き続き、融を舞います。
  けれど、あやめ会とは一味も二味も違います。今までしていた「お仕舞」からレベルアップした「舞囃子」バージョンの融なのです。プロの先生方が、謡とお囃子をしてくださるのです。


  舞台は融の大臣(おとど、と読む)のお屋敷跡、六条河原院。主人の融は既に亡くなり、融が風雅を愛でたお屋敷も跡を継ぐ人がなく、荒れはててしまっています。
  仲秋の名月の日、旅の僧がここを訪れます。するとそこへ一人の老人が現れ、ここは融のお屋敷跡であると教えてくれ、あたりの名所などを案内すると、ふとどこかへ消えました。実はこの老人こそ融の亡霊で、僧が寝ていると再び、今度は在りし日の貴公子の姿で現れます。融は名月の下、かつての日々をなつかしみ、月を慕う想いを込めて舞を舞います。夜明けが訪れると融は月の都へと去っていきます。


  以上が『融』のお話の全体ですが、私の舞うところは老人の部分をとばし、「貴公子」の融であります。
私は今回、初めてお囃子に合わせて舞うことをしましたが、なかなか気分の良いものです。ちょっと「私のことをスターと呼んでおくれ」というような気分(?)。貴公子だし。

  普段のお稽古ではお囃子を録音したテープを使って練習しています。去年初めて舞囃子をした四回生も申し合わせ(リハーサル)の時、「すごい。やっぱり本物が迫力が違う!」と感動していたので、きっと本番本物のお囃子つきで舞うのは、また格別の気分なのでしょう。
「本物を聞いたら、緊張で頭が真っ白」という可能性もありますが、こんな機会は人生にそうあるものでもないでしょうから、「スター」な気分を存分に味わいたいと思います。

<二期生 S.T>



囃子・鞍馬天狗 


  『鞍馬天狗』は、源九郎義経がまだ遮那王と名乗っていた頃のお話です。
  義経にはエピソードが多く、兵法の極意を授けたのは、天狗だといわれています。その天狗がこの『鞍馬天狗』の大天狗です。
  義経は幼い頃、鞍馬寺に預けられていました。その鞍馬寺一行が、春、鞍馬山へやってきました。皆でわいわいしながら楽しんでいると見知らぬ山伏がやってきたではありませんか。仲間内でこの場所を占められないのが気にくわなかったのか、一行は遮那王を残して帰ってしまいます。残された山伏、遮那王は互いの正体を明かし、天狗は平家討伐に力を貸すと約束します。
  そして、義経に兵法の極意を授け、去ろうとします。引き止めようと袖をつかむ遮那王に、「自分はいつも影と同じように側にいる」といい、名残おしげに去っていってしまいました。

  春のあやめ会では仕舞で『鞍馬天狗』をしましたが、今回は舞囃子で舞います。
  鞍馬天狗の舞囃子は「舞働」と呼ばれるものであり、これは主に龍神・天狗・鬼畜などの威勢を示すものです。この「舞働」には他のもの(序舞、中舞など)とは大きく異なる点があります。それは舞うときに笛の音に合わせるのか、太鼓の音に合わせるのかという点です。普通の舞囃子は、前者の笛の音に合わせるタイプで、「ホウホウヒー」というフレーズに合わせます。「舞働」は、後者で太鼓の「ホー・テンテン」というフレーズに合わせるタイプです。
  簡単に「ホウホウヒー」「ホー・テンテン」に合わせる、とはいってはいますが、これがなかなか難しい。なぜならこのフレーズは、笛・太鼓の擬音語なのですが、僕にはそんな風に聞き取れないのです。次に頭で理解できても体がいうことを聞きません。とにかく、舞って、舞って、舞いまくって体に覚えさせるしかないのです。(このあたりはほとんど運動部。あつい柔剣道場で汗だくになりながら練習しました。)
  頑張りますので見てください。

  <二期生 T.O>



問出演舞囃子・三輪白式神神楽


  三輪、とは、奈良にあるお山の名前です。三輪山は、神様なのですが、ご存じですか? 古事記には、活玉依毘売(いくたまよりひめ)さんのところに通って来る男の人の正体を知りたくて、帰るときに着物に糸を通した針をこっそり刺しておきまして、その糸を辿っていったらあらまあ、三輪山の神社に着きました、なんて話が載ってますね。そのほかにも、三輪の神様のお話では、仲良くなって随分経つのに、姿を見せたことがないので彼女に見せて見せてとせがまれて、じゃあ、御櫛笥の中にいるからあけてごらんよ、でも驚いちゃいけないよ、と。でも、彼女は蛇だから驚いてしまうんですけどね・・・・・・なんてのもありますね。そんな三輪が舞台のお話であります。

  三輪のお山に籠もっているお坊さんのところへ、毎日仏様へ捧げるお水を運んでくる女の人がありました。その女の人がある秋の日、寒くなってきたので衣を一つ頂けないか、とお坊さんにおねだりします。お坊さんはどうぞ、といって衣をあげます。女の人は喜び、お暇します、といいます。お坊さんは呼び止めて家はどこかと訪ねますと、
   「わが庵は三輪の山もと恋しくは
           訪ひ来ませ杉立てる門」
と、古今集の歌を引いて、杉の立っている門を目印に来てね、と消えていきます。
  気になりますよね。で、お坊さんも、探しにいくのですが、その先は、三輪の神垣の中なんですね(三輪明神さんは、山全体が神様なので、神殿はないのです。お山全部が神域なのですね)。そこの二股の杉の木に掛け渡した注連縄に、さっきお坊さんがあげた衣が掛かってるのです。あら。するとそこへ、三輪の女神さんが現れます。そして、お坊さんに三輪の伝説を語ってあげたり、天照大神さんが籠もってしまった時の天の岩戸でのお話しをしてあげたり、とにかく美しくさわやかに舞い遊んで・・・・・・と、そういうお話です。

  三輪の女神さんが舞うところが舞囃子になっていて、我らが顧問の脇田晴子先生が舞って下さいます。脇田先生は我々とは違います。何がって、それは見ていただいたら一目瞭然でしょう・・・・・・お楽しみ下さい。

  およ、三輪の神様って男じゃないの、とお思いになったかもしれませんね。そうですね。そういう伝説の方が有名なのでそう思われがちですけど、女性だ、というお話もあるそうですよ。きれいな女神さんのほうが三輪の伝説を語るにはふさわしい、と作者の方は思ったのではないでしょうかね。私もそう思いますもん。

<一期生 R.M>



外仕舞・三井寺


  行方不明になった子どもを探して、女の人が駿河(静岡県)から京の都へやって来ました。そして、霊験あらたかな千手観音のおられる清水寺へ参詣します。子どもに逢いたい一心で祈り続ける女の人は、子どもに逢いたかったら三井寺へ行くように、との夢を見ます。女の人は喜び、三井寺へと急ぎます。
  一方、そのころ三井寺では、お坊さんがみんなで十五夜のお月見をしておりました。そこにはお坊さんの弟子となった、身寄りのない少年がおりました。
  心乱れて、女の人は京から近江へと急ぎます。あたりの景色を見ても、思うのは我が子のことばかり。そこへ。じゃんもんもんもんもん……。鐘の音が聞こえてきました。三井寺の鐘の音です。
  三井寺の鐘は、龍神さんが俵藤太にあげたものだそうで、元はお釈迦さんの祇園精舎の(うしとら)(東北)に吊してあったのですって。一度落とされて割れてしまったことがあったのですが、どこからか白龍が現れ、割れたところを舐めて元通りにしてくれたのですって。すごいな。――という逸話を知っていた女の人は、昔、龍女がお釈迦さんに宝珠を捧げて成仏した、という縁もあるし、と、自分も鐘を突かせてもらおうと決めます。
  変なおばさんが来て勝手に鐘を突きだした、というので、みんなは止めに来ます。けれどなかなかどうして、この女の人は知識もあるし、みんな、話を聞き出すのですね。そのとき、少年が、この女の人の故郷を知りたがり、お坊さんに聞いてくれ、と頼みます。
坊「どこの方ですか」
女「駿河の国、清見が関のものです」
子「何だって! 清見が関?」
女「おお、その声はまさしく我が子千満(せんみつ)
みんなはこの嘘つき女め、といじめるのですが、少年が止め、身の上をあかします。彼はまさしく千満で、人買いに売られて母と生き別れになっておったのです。よかったねよかったね、まさしく三井寺の鐘の功徳であります。母子は共に帰っていきました。

  お仕舞は、女の人が子を思って鐘を撞くシーンです。ぐっとくるぜ。

<一期生 R.M>



外仕舞・天鼓


  中国の、ずっと昔のお話です。
  あるところに、天才少年、天鼓くんがいました。彼はその名が示すとおり、鼓の名手です。何でも、彼はお母さんが天から降ってきた鼓がお腹のなかに入った、と思ったら生まれたら子だそうで、しかも生まれた後、ほんとに天から鼓が降ってきたのですって。そして、天鼓くんと名付けられた彼はその鼓とともに大きくなりました。
  ところが。時の皇帝は、素晴らしい音色のその鼓を欲しがりまして。だけど天鼓くんは、自分の大事な鼓ですもの、渡すもんかって、山奥へ鼓を持って逃げたのです。そしたら、皇帝は何と、天鼓くんを川に沈めて溺死させてまで、鼓を奪い取ってしまったのです。
  でも、さすがは、天から下された鼓。鼓にだって心があります。天鼓くんが死んでから、その鼓は、誰が叩いても、一切音を鳴らさなくなってしまいました。皇帝は、自分の非を知りました。そして、天鼓くんのお父さんに叩いてみてもらえるよう使いを出すところから、この『天鼓』のお話は始まります。
  皇帝に呼ばれ、誰が叩いても鳴らなくなった鼓を打てとの命を受けたお父さん。命の恐ろしさと、亡き子を思う心とが錯綜して、足取りも鈍ります。しかし。天鼓くんの鼓は、お父さんが叩くと、昔ながらの澄んだ音色を出したのでした。泣き崩れるお父さんが、見るものの胸を打ちます。
  皇帝は、管弦講を催して、天鼓くんの霊を弔うことにします。すると、音楽大好き少年の天鼓くんの霊が嬉しげに現れ、感謝の思いを述べつつ、楽に合わせて舞を踊ります。もちろん、愛する鼓を打ちながら。自分を殺してまで鼓を奪った皇帝を恨むどころか、勅に背いてごめんなさい、という素直な天鼓くんの心が、素敵な音楽を生み、居合わせた人々を幸せにするのでした。

  全くひでぇ皇帝だよ、と思ってしまいながちですけれど、このお話で大事なのは、天鼓くんの喜びの部分なのですって。そして、この部分が、仕舞になっております。どうぞ、天鼓くんと一緒に喜んで下さい。

<一期生 R.M>



うこれで分からないなんて言わせない!
                  スペシャル企画 能 『竹生島』


  なんと申しましてもスペシャルですから。「お能なんてよー」としり込みなさる方も、どうぞ読み進めて下さいな。きっと、この企画で『竹生島』なら分かるはず! ホントは分かってなくてもなんか分かった気にはなれるはず! だといいのですけどね。まずはあらすじからいってみましょう。このあと、全文訳もつけてありますので、そっちを見た方が詳しいのですが。せっかちな方はこちらをどうぞ。

  頃は平安初期。桜の花咲くのどかな春の日に琵琶湖を訪れた都人。彼らは醍醐天皇に仕える身であるが、都でも評判の竹生島へ参詣に来たのである。竹生島は弁才天がおわしますことで夙に有名だが、この弁才天、水の神、芸能の神であると同時に武神の性格も合わせ持つということで、各方面からの信仰が篤い。人気者なのだ。
  さて、都人。琵琶湖までは来たものの、島へは舟に乗らねば参ることがかなわぬ。そこへ折良く来合わせた一艘の釣り舟。漁を生業とする老人・娘の好意により、舟に便船できる次第とあいなった。
  大津から奥琵琶湖に鎮座まします霊地・竹生島へ。貧しい漁翁の釣り舟で行くのだから今とは違い、かなり時を要したはず。しかし、見よ。真っ白に輝く、雪とも見まごう桜に彩られたあの山々を。水面に影を落とす深緑の竹生島を。何とも贅沢な湖上の旅ではないか。
  舟が竹生島に着く。娘も島に入ってきたことに不審を抱く都人。元来、聖地もしくは修業の地というのは、女性の立ち入りを禁ずるものなのである。だが、この竹生島は違う。何よりも、弁才天は女性のお姿をとっておられるし、その本地仏は、女人往生の誓いを立てられたのであるから。
  実はこの娘こそ竹生島に住まう弁才天であり、老人は琵琶湖の主たる龍神であったのだ。正体をほのめかして二人は姿を消す。そこへ、帝臣が参詣に来ていると知った竹生島の社人が礼を言いに現れ、竹生島の秘宝を紹介する。そして、島に伝わる修業の一つ、岩飛びを見せる。崖の上から湖水へと飛び込むという荒行である。
  そして日が暮れて。御殿がしきりに揺らぎだしたかと思うと弁才天が現れ、天女の舞を見せる。波が立ち始めるとそこからは龍神が現れ、都人に宝珠を捧げると、弁才天ともども消えていった。
登場人物
  ワキ …… 醍醐天皇の臣下 ワキツレ …… 従臣
  前シテ …… 漁翁 前ツレ …… 蜑女
  アイ …… 社人
  後シテ …… 龍神 後ツレ …… 弁才天

詳しくはこちらへ
  ・面
  ・作り物
  ・装束
  ・全文掲載(現代語訳付き)

<一期生 R.M>



祝言・岩船


  能『竹生島』で。龍神が帰り、都の人も帰っていって。そしたら、地謡の人々が謡い出しますよ、淡海能の最後を飾るにふさわしい、このおめでたい謡を。

  万葉集に、こんな歌があります。
久方乃(ひさかたの) 天乃探女之(あまのさくめが 岩船乃(いはふねの) 泊師高津者(はてしたかつは) 浅爾家留香裳漢(あせにけるかも)
(巻・三 角兄麻呂)

天探女さんが、高津(住吉の近くです。高砂さんの奥さんのね)におりてきなすった、というお話がもとになっているのです。

  天皇が、摂津国住吉の浦に市を立てて、朝鮮や中国の宝物を買いなさい、と家臣に命じます。それで都の人が住吉にやってきました。
  市は大変な盛況です。人がいっぱいいます。その中に、都人は不思議な人を見つけました。格好は中国人なのに、大和の言葉を話す子どもです。手には銀盤に乗せた宝珠を持っています。この子は、めでたい御代なので、と宝珠を都の人にくれました。実はこの子どもさんこそ、天探女さんだったのですね。天上界のお宝を載せた岩船を漕いできたお人です。正体を明かすと、子どもさんは消えていきました。
  そこへ、龍神さんが現れました。そして、天の岩船をえいさらえいさと引っ張ってきました。岩船には、金銀財宝がいっぱい積んでありました。船は岸に着けられ、運び出されたお宝は文字通り山のよう。なんだかめでたいですね。

<一期生 R.M>


お囃子
<一期生 R.M>



能でウフフ  近江の能。


  巷はもうすっかり秋。皆さま、きのこ食べてます?
  さて、今回、つまり第三回を数えることとなった淡海能。目玉はなんといっても、能『竹生島』でありましょうな。初の自演能ですから、舞茸を見つけたときのように舞い上がって喜んでおるのですわ、私どもは。

  さて、能というものは室町時代に観阿弥・世阿弥親子が大成した、というあたりのことはなんとなく皆さまもご存知ですね? 室町時代あたりといやぁ、いうまでもなく文化の中心地は京の都。その時もそうだったし、それまでも、ね。
  で、お能というのは作者が筋を生み出したのではなく、巷間によく知られた伝説・伝承等をもとに作られておるのです。だから皆の衆のよく知っている人物が登場するのです。有名どころでは、人生そのものが一編の絵巻物の如き義経さん。彼の出てくるお話はたんとありまして、天狗に出逢って兵法の極意を授けられる『鞍馬天狗』にはじまって、『橋弁慶』『烏帽子折』『正尊』『船弁慶』『安宅』『摂待』『屋島』と、お能だけで彼の人生はおよそ分かるね。彼が登場しなくても、彼女の静ちゃんの出る『吉野静』なんかで裏話も分かる仕組み。あとは源氏物語のような架空の物語も下地にされてますね。また、平家物語の高貴で哀れな平家の武将ってのも大人気。いったい何人取りあげられてるんだろ? まぁ、お能は勝って万歳! というよりは負けて死んでいった者に手を合わせ……といった趣が強いのですね、仏教好きなもんで。だから負けた人はいっぱい扱われてますが、勝った人は、たったの三人。それも、中身を見れば主たるテーマは勝ったことにはないのですな。他のテーマが気に入ってお能にしたら、たまたま勝っておった、というような感じで。
  は。私は何をいっているのでしょうな。こういうことがいいたかったわけではないのですよ、タイトル見れば分かるでしょうけど。そうそう、京が文化の中心地だったから、京を舞台にした作品は多いけど、『竹生島』のように近江が舞台になってるお話もあるんだね。それが今回のお題でさ。とある能の手引き本で調べましたところ、一五作品もありました(現行曲のうち、ということになります。日本が舞台のものは二〇〇以上あるんですけどね)。それらを見れば、近江の名所が分かるってもんですな。と、そういうことがいいたかったのです。

  竹生島同様、龍神さんの出てくる『白髭』は、もちろん白髭明神が舞台。近江高島にありますね。『竹生島』の龍神さんと同じ方なんですかね。
  大津はさすが県庁所在地。いっぱいあります。関寺近くには年老いてから小野小町さんが住んでいたようですね。『鸚鵡小町』『関寺小町』。源氏物語が生まれた石山寺も、もちろん舞台になってます。紫式部の出てくる『源氏供養』。百人一首の「これやこの……」の歌で有名な、その名もズバリ『蝉丸』。行くも帰るも逢坂の関が舞台。百人一首に選ばれていない大伴黒主さんは、志賀明神におなりだそうですよ、『志賀』。粟津を舞台にしたお話には木曽義仲の彼女の物語『巴』と、忠臣の物語『兼平』があります。それから、番外仕舞で舞っていただいた『三井寺』を忘れちゃいけないね。大津は京にも近く、お寺も有名ですからね。もちろん、比叡山を舞台にしたものもあります。天狗がお釈迦さんの幻影を見せてくれる『大会』、怒る菅原道真の霊、『雷電』。琵琶湖は大事な交通路でしたね。船で逃げようとする人買いを引き止め、暴力をふるわず芸で少女を救い出す正義の味方の冒険活劇、『自然居士』。
  湖西を離れるとあまりないのですが、先にもいいました『烏帽子折』。義経の元服の地は近江の鏡の宿、というところなのです。石碑を見たことがあります。そして、仇討ちの物語『望月』は守山の宿が舞台。
  こうしてみてみますと、当時の近江というのは @琵琶湖 A関所とその周辺の寺あたり B街道と宿場、という三つのポイントを中心にとらえられていたようですね。なるほど。いや、当時、というより、これは今も変わらないのかも。うーん、もっといろいろと素敵なところがあるんだけどなぁ……ちょいと、皆にしらしめた方がよいかもしれませんな、ウフフ。

<一期生 R.M>



賀県立大学能楽部がホントの能楽部になれた日。


  だって、知らなかったのだ。能を出しもしないくせに「能楽部」と自称することがいかに厚顔無恥の所業であるかなど。能をやっている人に教えていただいているから、能楽部。能の経験のある先生が「能楽はいいわよ」といって下さったので、能楽部。それがおかしいなどとは思いもしなかった。素直といえば聞こえはいいが、いささか単細胞のきらいは、ある。
  少しずつ能のことも勉強し、外(というと大げさだが)にも進出するようになって、実態にそぐわない看板を掲げていることの恐ろしさに否応なく気付かされだした。羊頭狗肉。竜頭蛇尾。昔の人は言うことが穿っている。まさしくそれなのだ。「能楽部」「淡海能」と名乗ってしまえば、むこうさんの頭には闇夜をバックにした小面に唐織のお姉さんが浮かびあがっているのがありありとわかる。しかし、こちらにできるのは幽玄とはかけ離れた仕舞・素謡だけ。きっと多くの人に、「能、ってこんなもん?」と思わせてしまったに違いない。はなはだ心苦しい。「いえ、これは仕舞というもので・・・能は秋にやるんですけどね。よろしかったら、見に来てくださいな」そう言えたらどんなにか、どんなにか――。伝統がないということは、私たち自身で勝負するしかないということなのだ。したことがない、というのはやむを得ないにしても、する可能性もないのでは、話にならない。そう、やるしかないのだ。
  それから、我々の戦いは始まった――といえば格好はいいが嘘になる。窮鼠猫を噛む。追い込まれて初めて真価を発揮する人がいる。せめてそうであってくれれば・・・と霊峰伊吹に手を合わすようなことすらしなかった。しかし、時は着実に歩みを進める。人は平等に年をとる。

1年目。 何をしていたのかあやしいものだ。自分を客観視する余裕などなかった。ただ、人様に恥ずかしいものをお見せしたことだけは分かっている。だが、忘れてはならないのだ。成長するつもりであるのなら。そう世阿弥は言っている。
2年目。 淡海能が始まった。能も出さないくせに。出せる目途もついてないくせに。なんてタイトルをつけたものだろう。向こう見ずは若さの特権、と嘯いていた。これもまた恥ずかしい。
3年目。 あやめ会まで始めた。少しは利口になったのか、能を出さないので「会」の名をつけている。そうすることで、淡海能には能を出すべきだ、ということも認識しはじめた。だが、このときは舞囃子が出来た嬉しさで頭に羽が生えていた。能が全くの夢でもなくなってきた。嬉しいと同時に、恐ろしい現実。できるのか? もう一つの恐ろしい現実。この年、新入部員がいなかった。おいおい、部の存続すら危ういのでは? しかし、皆なぜはいらんのだろう。こんなに楽しいのに。
4年目。 時が経つのは早すぎる。あれよあれよという間にもう秋が来た。稽古がたらんのじゃ! 分かってるならやれ! 尻に火がつかねばやらんのか? ならつけろ! つけてやる!
 
  全くの余談を前後の脈絡なくいれる。蓮華会とは、竹生島の祭礼の名である。毎年八月十五日に行われている。昔は六月十五日に行われていたそうだ。水の神である弁才天に雨乞いをするのだ。蓮華会が最も盛んだった頃は、毎年、弁才天像が新しく奉納されていた。脇田先生が顧問挨拶で述べておられる「現存最古の蓮華会の弁才天」とは、このことである。そう、竹生島には数体、いや数十体は弁才天がおられるのだ。小さな島にあふれる天女。頭に宇賀神を乗せた、八臂の座像である。宇賀神は老人で、体は蛇である。それが、弁才天の頭上でとぐろを巻き、鳥居型の宝冠の合間からニコニコとこちらを見ている。彼は稲の神である。稲の神と、水の神。米所・近江に実にふさわしい。米が好きなら、一度はお参りされるがよかろう。

  そして。今日、能楽部は初めて胸を張って「滋賀県立大学能楽部でござい」と名乗ることができる。「淡海能」の看板にも、もう、偽りはない。きらめく鰯雲よ、今日も空は青いなぁ。

<一期生 R.M>


竹生島観光のすすめ。
<一期生 R.M>