<第九回・十二月>
「あゝ 降ったる雪かな。」
            『鉢木(はちのき)



  来ますよ。ええやってきますとも、雪の季節が。ここ、滋賀県彦根市は近畿圏内にありながら気象状況は北陸の範疇に入るともっぱらの評判です。冬に京都方面からJRで北上してくると瀬田川…草津川…野洲川…日野川…愛知川…宇曽川…犬上川と川を越えるごとに気候が変わっていきます。北陸へ突入していくのです。京都は普通の晴れた空だったのに安土山−繖山のトンネルを越えると雪国だった、などと川端康成の世界です。そして吹き降ろす比叡颪……彦根はそんな冬を迎えようとしています。
 
  今回は、大雪の日のお話『鉢木』を紹介します。
  諸国を巡っていた僧はあまりの大雪に先に進みかね、近くの家へ一晩の宿を請います。主人が不在中のため引き受けかねる、という妻に僧はそのまま主の帰りを待つ旨を言います。そこで外出から帰ってきた佐野源佐衛門尉常世の登場となります。そのときの第一声がこれです。
 
  「あゝ 降ったる雪かな。」
 
  昔の名人の技量を伝える逸話として有名なこういう話があります。今より少し前、まだ能楽堂に冷房設備が入っていなかった頃のこと。夏の暑い盛りに『鉢木』の能がなされました。暑い中、汗を拭いつつ見ていたお客はそのときのシテの「あゝ 降ったる雪かな。」という謡を聞いて皆汗が引き、寒い気持ちにすらなったそうです。まさに今大雪の中にいる心持になったとか。

  この逸話、大好きです。詩章そのものも味わい深いですが、舞台で実際に耳にし、謡うことの力を感じるのはまた格別です。知っている詩章であっても謡われて初めて心をつかまれることはよくあります。優れた謡はたった一言にいろいろなものを込めることができるのです。

  この常世の述懐は「雪がたくさん降ったな」というだけの意味ではありません。佐野の庄三十余郷の所領を一族の者に騙し取られて以来窮迫した生活を送っている常世には、この全てを埋め尽くさんとする雪はただ心を塞ぐものでした。世にある人ならば雪を堪能もするのだろうが今の自分にはその余裕はない、と。
  家へ帰り、僧の訪れを知った常世は家が見苦しいから、と泊めることを断りました。しかし妻に言われて思い返し僧を家に招き入れます。もてなすものといっては粟の飯があるだけ。夜が更けるに従い、冷え込みはいっそう厳しくなります。常世は僧を火にあたらせようと考えますが燃やすものがありません。いや、ありました。昔の趣味でただ三鉢だけ残していた鉢の木が。秘蔵の品ではありますが常世は決意しました。梅・桜・松の鉢の木にかぶさる雪を払いのけ、切って火にくべたのです。
  僧に常世は武士の気概を語ります。今はこのように窮してはいても、いざ鎌倉、ともなればあのぼろぼろの具足を着込みあの錆びた長刀を持ってあの痩せ馬に乗り真っ先に駆けつけるのだが、と。よき敵と討ちあい命を落とすことは厭わないのにこのままでは飢え疲れて死ぬのを待つばかり。そのような身を嘆く常世を励まし、僧たちは鎌倉へ出かけた際は尋ねてくれるように言い残して雪の中をまた旅立っていきました。

  そして。その「いざ鎌倉」の事態が訪れたのです。常世は僧に言ったように支度を整え、大急ぎで駆けつけます。すると、執権時頼の従者が「軍勢のうちで最も見苦しい武士を連れて参れ」との命を受けて常世に御前に参るように伝えます。常世は敵方の者が自分のことを謀反人と訴え、首を刎ねられるに違いないと考えますが覚悟を決めました。並み居る諸将がみな常世の具足の貧しさを笑いあう中を臆することなく常世は進み御前に参りました。
  なんと北条時頼は、大雪の日の僧でした。時頼は常世の言葉を試すために動員をかけたのでした。言葉をたがえず見苦しい出で立ちで駆けつけた常世に佐野の庄三十余郷の所領を戻しました。また鉢の木の報償として加賀の梅田、越中の桜井、上野の松枝の三つの庄まで与えられ、常世は喜び勇んで故郷の佐野へと帰りました。
 
  話の初めの大雪は、まさに埋もれた常世の境遇をあらわしたものだったのです。僧に、自分のことを「私は埋もれ木だから花など咲かない」と常世も言っていました。しかし、雪に埋もれていた三つの鉢の木を取り出すとともに自分をも埋もれた境遇から取り出せたのです。

<R.M>