<第十回・正月>
「それ青陽の春になれば。四季の節会の事始め」
                           『鶴亀(つるかめ)



  新年。新しい年。なんとも清々しい気持ちがいたしますね。年が改まるからといってさりとて何かが変わるわけではなくお日さまは常の如く昇って沈み、琵琶湖はたたえた水にさざなみを寄せているのですが。しかし日々の生活に節目を持つ、ということは生きていく上で非常に重要なのではないかと思います。だらだらと過ごすとわたしなんてどこまでもだらだらしてしまいそうですもの。

  そういう節目は一年のうちいくつかありますがその中でもとりわけ大事なのはこのお正月ですね。何しろ、また新しく始まるのですから。この時期には「今年初めて」というものがたくさんありますね。歳時記の新年の項を見ましても初詣、書初、買初、初荷、初湯、初夢、御用始……と色とりどりです。お能に関する季語としては「稽古始」「謡初」「謡始」「松謡」「舞初」「舞始」「舞台始」「初能」「能始」「御能始」などがあるようです。私たちは新年第1回目の活動は1月8日になりますのでそのときが「謡初」「舞初」ですね。俳句を嗜んでおれば一句詠むところなんですが。

  今回は特別に“一月の謡”とは別に“正月の謡”として『鶴亀』を紹介します。中国は唐の時代、玄宗皇帝と思われる人物が主人公のこの曲。皇帝の行幸に合わせて臣下一同が月宮殿に参集し新年を寿ぐ様子が謡われているのです。行幸の後皇帝は月と日に拝礼をします。そして参内した人々がひしめく中で行われる長寿の象徴たる鶴と亀の舞、そして皇帝自身の舞……その舞台は色とりどりの宝石に飾られた仙境とも見紛うばかりの豪華な宮殿です。曲のめでたさはもちろん、季節的にも謡初にぴったりです。

 「それ青陽の春になれば。四季の節会の事始め」

  謡曲としてはシテであるこの皇帝の謡から始まります。

  青陽とは、まさしく新春のこと。新暦になって以来、一月はまだまだ寒くて春は程遠く感じられますが旧暦のときには、新年はまさに春の息吹を感じる時期だったのです。青とは植物が芽吹く時の色。五行思想では東、春を表す色でもあります。ちなみに、夏は朱明、秋は白蔵、冬は玄英となるそうです。
  植物は芽吹き、育ち、実をなし、命を終える。そんな風に四季の移り変わりを肌で感じて過ごしていた人々にはやはり「再生」である春の始まり、その兆しを感じる頃が新年に相応しいでしょう。今の、雪と餅の白い正月もよいのですが。

  この『鶴亀』は現行曲中もっとも詩章の短い曲であり、強吟なのでさほど難しい節付けもなく、初心者の入門曲として親しまれています。凡そ謡を嗜んでいる人で、この『鶴亀』を知らない人はいないでしょう。難しい型付けのない仕舞とともに入門曲的な役割を果しています。

  しかし、お能で観ると素晴らしく豪華な場が出現するので驚きます。私たちの拙い“ツルカメ”と荘厳重厚に能楽堂内に響き渡る“鶴亀”は別物のようです。また、あんなに詞章は短いのに舞台は盛りだくさんなのです。まず、皇帝の登場の時の囃子からして違います。そして鶴と亀の相舞。それから皇帝にふさわしい威儀をもって舞われる楽とそれに続く仕舞。慣れしたしんだ謡と仕舞がこうもなるものかと感銘を受けます。そんなにたびたび出る能ではありませんのでまだの方は機会があればぜひ御覧になってくださいね。


   ではこのあたりで皆様もご一緒にいかがですか。

  「それ青陽の春になれば。四季の節会の事始」
  「不老門にて日月の。光を天子の叡覧にて」
  「百官卿相にいたるまで」
  「袖を連ね踝を接いで」
  「その数一億百余人」
  「拝をすすむる万戸の声」
  「一同に拝するその音は」
  「天に響きて」
  「夥し」
    …………………………


  あけましておめでとうございます。
  旧年中は格別のご厚情を賜りまことにありがとうございました。
  今年もどうぞ、滋賀県立大学能楽部ならびに当サイトをよろしくお願いいたします。

<R.M>

『鶴亀』原稿:全訳
     仕舞等の原稿は演目別一覧からどうぞ。