新次郎先生・初シテ


■お写真入手の経緯。

  私たちは第4回淡海能(1999年)に能楽「小鍛冶」を出させていただきました。その時にポスターを作成するため(右の画像を参照して下さいね)新次郎先生に写真を貸していただけるようお願いしましたところ、ご自分が初シテをなさった時の思い出の写真をお持ち下さいました。白黒です。1968年、昭和43年です。この時、先生は27歳だったんですね、お若い!  
先生はこの写真をお貸し下さっただけでなく私たちに下さいました。こんな大事なお写真を。
けれど、頂きはしてもしまいこんでしまっているのが実情です。手荒に扱うのはもってのほかですがお蔵入りというのも勿体無いことです。新入部員はその存在を知りませんし、卒業生ももう見る機会がない……それは哀しいことです。卒業生だけでなく深野新次郎先生ファンの人々も折りにふれて見られたらどんなに嬉しいことでしょう。それにはWebという媒体は実にうってつけですよね。そう思いついて特集ページを作りました。
  後場の稲荷明神のお写真だけですがどうぞご覧下さい。(小鍛冶のお話についてはこちらをどうぞ。)

淡海能のポスター。


昭和43年12月10日(火) 浦田定期能  於 京都観世会館
  能楽「小鍛冶」 シテ 深野新次郎
    ワキ  今村 知史
    アイ  藤村新太郎
    笛   杉  吉次
    小鼓 竹村 英雄
    大鼓 中村 喜彦(現・石井喜彦)
    太鼓 前川  雪


ワキ「宗近勅に従って。即ち壇に上がりつつ。不浄を隔つる七重の注連。四方に本尊を懸け奉り。幣帛を捧げ
仰ぎ願わくは。宗近時に至って。人皇六十六代。一條の院の御宇に。その職の誉を蒙る事。これ私の力にあらず。伊奘諾伊奘冊の。天の浮橋を踏み渡り。豊葦原を探り給いし御矛より始まれり。その後南瞻僧伽陀国。波斯弥陀尊者よりこの方。天国ひつきの子孫に傅へて今に至れり。願わくは

詞章と写真にズレはありますがご了承くださいませ。


地「願わくは。宗近私の功名にあらず。普天率土の勅命によれり。さあらば十方恒沙の諸神。只今の宗近に賜び給えとて。幣帛を捧げつつ。天に仰ぎ頭を地につけ。骨髄の丹誠聞き入れ納受。せしめ給えや

お囃子が最高潮に達し、ワキ・宗近の祈りを聞き届けて小狐こと稲荷明神が登場します。


ワキ「謹上。再拝

地「いかにや宗近勅の釼。打つべき時節は虚空に知れり。頼めや頼め。ただたのめ

狐の冠を戴き、手には槌を持って現れた稲荷明神。この頭上で軽やかに駆けている狐さん、新次郎先生のお手製だとうかがいました。
小鍛冶写真03


小鍛冶写真04 シテ「童男壇の。上に上がり

地「童男壇の。上に上って。宗近に三拝の膝を屈し。さて御釼の鉄はと問えば。宗近も恐悦の心を先として鉄取り出し教えの槌をはったと打てば

刀を打つのは初めてなんでしょうね、稲荷明神さん。でも宗近さんに教えてもらったらすぐに名刀が打てるのですからさすが神様です。


シテ「ちょうと打つ

地「ちょうちょうちょうと打ち重ねたる槌の音。天地に響きて。おびたたしや


ワキ「かくて御釼を打ち奉り。表に小鍛冶宗近と打つ

シテ「神體時の弟子なれば。小狐と裏に鮮かに

槌を振るう時に大鼓がカン! と鳴り響きます。まさに刀を打っているかのようです。
小鍛冶写真05


小鍛冶写真06 地「打ち奉る御釼の。刃は雲を乱したれば。天の群雲ともこれなれや

刀の両面を見て刃紋の具合をご覧になっています。沸き立つ雲のような仕上がりだったのでしょうね。


小鍛冶写真07 シテ「天下第一の

地「天下第一の。二つ銘の御釼にて。四海を治め給えば五穀成就もこの時なれや。即ち汝が氏の神。稲荷の神體小狐丸を。勅使に捧げ申し。これまでなりと言い捨てて。また群雲に飛び乗りまた群雲に。飛び乗りて東山。稲荷の峯にぞ帰りける

この刀で国を治めれば五穀成就は間違いなし、と太鼓判を押し、打ちたての小狐丸を勅使に渡すと稲荷明神は帰っていくのでした。