第十一回 あやめ会



平成二十年五月十日(土) 十三時半始  
於 彦根城博物館能舞台
   第十一回 あやめ会

 連吟 竹生島

 仕舞 岩船
     清経キリ
     富士太鼓
     天鼓
     
 素謡 杜若

 仕舞 難波
     清経クセ
     敦盛キリ
     鞍馬天狗

 素謡 土蜘蛛

 附祝言
 終了予定 十六時頃

主催 滋賀県立大学能楽部
指導 深野新次郎
深野 貴彦




連吟・竹生島

連吟 竹生島

 延喜の頃、醍醐天皇にお仕えしている朝臣が竹生島に参詣しようと、京より逢坂の関を越え、近江へとやって来た。琵琶湖畔に着くと、湖の向こうから一艘の釣り船が来るのが見える。船には漁師の老人と、その娘と思われる若い女が乗っている。朝臣は舟を入り江に着けた老人に、竹生島まで乗せていってはくれぬかと頼む。老人も一度は断るが、これも神の巡り合わせと、朝臣を乗せて竹生島へと舟を漕ぎ出す。

春のうららかな日に、琵琶湖の周囲の山々には雪のように桜が咲いている。竹生島を見れば、島を覆う緑樹の影が湖面に映り込み、まるで魚が木を上っているかのよう。月が昇り湖面に映れば、月の兎は波間を走るだろう。
 
湖上の春景色を楽しんでいると、舟は竹生島に到着する。老人が朝臣を神前まで案内するが、社殿までついてこようとする娘に、朝臣は疑問を抱く。竹生島は女人禁制の島ではないのか。「ここに祀られている弁財天は女の神、女人を分け隔てることはない。」老人は答え、竹生島の由来を語る。やがて娘が「私は実は人間ではない」と言い残して社殿の奥へと消える。すると老人も「私は琵琶湖の主である。」と言い、波間へ消えていった。
 しばらくすると社殿が鳴動して、中から弁財天が姿を現す。弁財天は、天から聞こえてくる調べに乗って、美しい舞を見せる。優雅な舞に時を忘れていると、震える湖面から竜神が現れ、光り輝く金銀珠玉を朝臣に捧げると、国土の鎮護を約束して水中へと去っていった。

<十三期生 H.I>




仕舞・岩船


とある朝廷の臣が、住吉の浦にやってきた。彼がわざわざやってきたのは、この住吉の浦に着いた高麗・唐の宝物を買い取る用があったからである。
しかしここで彼は、ある不思議な童子に出会う。この童子、姿こそ唐の人間のようだが、話す言葉は大和言葉である。この不思議な童子と話をしていると、どうやら思った通り只者では無いらしい。その童子はやがてこの朝廷の臣に、?利天(とうりてん)の喜見城の宝が浜に着いたと告げる。また、その宝を積んだ天の岩船(いわふね)を漕いできたのは自分であり、その正体は天の探女(さぐめ)であるとも明かすのだ。
 やがて朝廷の臣の前に、岩船が現れる。秋津島の竜神が八大竜王と共に守り、曳いてきたその船には、金銀珠玉が山のように積まれていた。彼らは宝の数々を臣に授けると、国土の繁栄を祝福し、やがて去っていくのだった。

今回の仕舞はこの後半の部分、八大竜王が現れ船を浦につける所から始まります。比較的短いものですが、国家繁栄の祝いの思いが込められています。仕舞の途中の謡「金銀珠玉は」から先は、附祝言としても良く耳にするフレーズでしょう。


<十三期生 Y.K>




仕舞・清経キリ


能の演目には源平の武将が登場する演目が多くあるが、「清経」もその一つである。平清経は平重盛の三男であった。平家の柱石であった祖父平清盛の死後、源氏に立て続けに負ける一門の運命に絶望を感じ、豊前国(現福岡県)の柳ヶ浦の沖で船から身を投げて果てた。清経の家臣の粟津三郎がその遺髪を持ち、邸で一人夫の帰りを待つ清経の妻に届けるために都に上った。愛する夫と離れ、心細い日々を送っていた妻は、三郎が訪ねてきたので、さては夫からの使いかと出迎えたが、彼の口から清経が入水したことを知らされた。思いもかけぬ知らせに妻は、自分一人を残して自殺するのはあんまりだと恨めしく思い、嘆き悲しんだ。三郎が遺髪を渡そうとしても、「見るのがつらい」と手に取ろうともしない。仕方なく三郎は遺髪を抱いて退出した。
その夜、寂しさに涙で枕を濡らす妻の前に、清経の亡霊が現れた。妻はなぜ私を残して一人で入水したのかと恨み言を述べた。それに対して清経は、自分が入水するに至るまでの経緯を語って聞かせた。
やがて彼は何者かに襲われたかのように苦しみだした。生前の武士としての罪業により、死後に堕ちた修羅道で終わり無き戦いの苦しみを受け続けなければならないのだ。立つ木はすべて敵となり、雨は矢となって降り注ぐ。地は剣となって身に刺さり、山は鉄の城と化す。しかし、清経は最期に「南無阿弥陀仏」と唱えた功徳により、修羅道を抜け出して、成仏することができた。



<十三期生 H.I>




仕舞・富士太鼓


 私は富士の妻でございます。我が夫は、宮廷で管絃の宴があると聞き、ぜひ己も、と上京されました。我が夫は名高き太鼓の名人であったのですが、すでに太鼓の役は浅間さまが指名されているとのこと。夢見も悪いことから、私は不安になり娘と共に都へ上ったのでございます。そこで知った事実は、私にとって残酷なものでした。我が夫は浅間さまの恨みを買い、殺されてしまったのです。涙が後から後から流れて止めようもございません。夫が上京する時どうして止めなかったのか。嘆きは深まっていきます。
 その時、ふと私の目に太鼓が映りました。そうです、最も恨めしいのは浅間さまでも、野心を抱いた夫でも、私自身でもありません。すべてはあの太鼓があったからこそ。私はこの身を焦がす恨みの念を抑えられず、形見の装束を身にまとい、撥(ばち)を手にしたのでした。
 私にとって、この撥は剣でもあります。私の怒りの炎よ。太鼓を飾る火焔の彫刻よりも遥か天に上ってくれませんか。しかし、私の胸にあるのは恨みだけではないのです。太鼓を鳴らすたびに蘇るのは、我が夫の音。とても懐かしい思いがいたします。思う様太鼓を打った後、悪心の煩悩はすっと晴れ、私は五常楽、太平楽、千秋楽を打ち添えます。嗚呼、なんと嬉しいことでしょう。私は仇討ちをしたように胸の恨みが消えていくのを感じました。思わず涙がこぼれます。私は夫の形見を脱ぎ、ただの女に戻って住吉へ戻るのでした。

<十一期生 K.T>




仕舞・天鼓


 昔、中国でのこと。王伯王母という夫婦がいた。妻は、天より降る鼓が腹に宿る夢を見て後、一人の男の子を産んだ。男の子は天鼓と名付けられる。
その後本物の鼓が天から降り落ちた。天鼓がその鼓は打てば妙なる音を発すると、噂はたちまち広まった。それを聞いた天子は鼓を献上するように命じるが、天鼓は拒み、鼓を抱えて山中に逃げこんだ。
すぐさま見つけ出された天鼓は呂水の堤に沈められ、鼓は内裏に召し上げさせられる。しかし、その後誰が鼓を打とうとも、音を発することはかなわなかった。
ならば父親であれば、と王伯のもとに宮中へ来て鼓を打つように宣旨が下される。王伯が鼓を打つと、鼓は妙音を発した。この奇跡に天子も感動し、王伯に宝を取らせ、天鼓のために呂水のほとりに鼓を据え、追善の管絃講(音楽法要)を行った。
夜半になると天鼓の霊が現れる。秋風が吹きすぎ、星空が澄み渡る中、天鼓は弔いの嬉しさに鼓を打ち鳴らし舞い踊る。そうしている内にやがて空も白み、夜が明けると共に彼は消えてゆくのだった。

この仕舞の中で私が一番好きな場面は「人間の水は南、星は北にたんだくの」と謡う所です。これは、地上の水は南に向かって流れ、天上の星は北を中心に回っている、という自然の摂理を謡ったものだそうです。動きとしては舞台上を南に北にと歩き回るだけなのですが、私はいつも舞台に宇宙を作っている感覚なのです。
 皆さんも舞台を見るとき、そのように一度見てみては如何でしょう?
 
<十一期生 K.A>




素謡・杜若


 東国へと向かう僧がおりました。彼はかつての平安京の名所等をめぐり、旅をしているのです。その途中、三河の国に差し掛かります。そこで彼は、澤辺に咲き乱れる杜若の花に目を奪われました。草木は心のないものとはいっても、その美しさは時を忘れるほど。そのように杜若の花を眺めているところへ、一人の女性から声がかかりました。彼女は僧へこの地の謂れを語ります。この地は八橋といい、杜若の名所であること。伊勢物語において、この川が蜘蛛の足の様にあちこちへ流れるので橋を八つ架け、それ故に八橋と呼んだということ。そして、在原業平がその澤に咲く「かきつばた」の五文字を各句の頭に置いて、「唐衣 きつつなれにし 妻しあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」と歌ったこと……。そのように言葉を交わすうち二人は親しくなり、女性は僧を己の家へ向かうように促しました。
 僧が家へ着くと、そこでは先程の女性が美しい衣を着て、額に透かしのある冠を付け、この衣装をご覧くださいと言います。この衣こそ歌に読まれた唐衣であり、冠は業平がかつて召したものであります。そのような装束を見に纏う女性を不思議に思った僧が身の上を尋ねると、実はかの歌に読まれた杜若の精であるとのこと。彼女は業平の詠歌のおかげで、心のない草木の精である自分も仏縁を結び成仏できたと語りました。
杜若の精は業平の昔の舞を現じます。業平は歌舞の菩薩の化身でありますから、彼の舞を舞うことで衆生を救い加護しようというのです。彼女が身にまとうのは女と別れて旅に出た恨みを歌に詠じた、かの唐衣。袖を翻し舞いながら彼女は、伊勢物語をそらんじていきます。その姿は『百聯抄解(ひゃくれんしょうかい)』で詠われた、蝶や鶯が舞い飛ぶような美しさを放っています。やがて杜若の精は悟りを得て、姿を消してゆくのでした

<十一期生 K.T>




仕舞・難波


 この演目は難波を舞台とし、ツレである木花開耶姫(このはなさくやひめ)が天女ノ舞を、シテである王仁(わに)が神舞を舞う、大変めでたい演目です。また王仁とは、古事記では和邇吉師(わにきし)とも呼ばれており、百済から日本に渡来して漢字と儒教を伝えた人物であります。その王仁が臣下に対し、今の御世を祝福するために様々な曲を打ち鳴らすところから仕舞が始まります。
 季節毎に相応しい曲はとても趣が深いものです。春鶯囀(しゅんのうでん)の楽はというと、春の風と共に花を散らすように打ちます。秋風楽は秋の風と共に波を響かせながら。萬歳楽は数多く。青海波は青い波の様に。採桑老(さいしょうろう)は波を立てながら。そして抜頭(ばとう)は翻すように打っていきます。
また王仁は没日還午楽にある羅陵王の舞の手を現じます。そして太鼓を波のように、寄せては打ち、返っては打ち鳴らしていきます。これらの美しい音楽に引かれ、人徳や深い信仰をもつ理想的な人が世に現れて、世を守り平和に治めてゆくことでしょう。今の御世がいつまでもいつまでも続きますように…。
数多くの雅楽の曲を取り入れたこの演目。歌詞を追うだけでも、華やかな音楽がイメージされることでしょう。舞台では雅楽の音が実際に響くことはないですが、数多くの曲を皆様に届けられるような舞をしたいものです


<十一期生 K.T>




仕舞・清経クセ


「清経キリ」でも書かれた話の、これは少し手前の場面になります。
西国に逃げる途中に身投げで死した清経。貴方が帰るのを耐えて待っていたのに何故生きて帰らなかった、と嘆き責めるその妻。嘆き悲しむ枕元に現れた清経の霊は、妻を納得させようと都落ちしてからのいきさつを語り出します。

 平家一門と共に西へ逃れて来たが、筑紫の戦にも敗れ、願をかけるため訪れた宇佐八幡では「平家の苦境を救う事は、宇佐の神にもできない」との託宣を頂いてしまった。
皆意気消沈して怯えきり、柳ヶ浦の穏やかな波が追っ手の恐ろしい顔のように、白鷺群れる松林が源氏のなびかせる旗のように見える有様だった。
神にまで見放されて、一体我々は何と無益な事をしているのだろう。訪れる死までの時をわずかに引き伸ばすために、こんな辛い思いをせねばならないのならば…。
誰にも何も告げず、私は船を出した。舟の舳板で横笛を奏で、今様を謡いながら色んな事を思い出した。だが、昔の栄華が戻ってくる事は決してなく、生きていたとて心配の種がやって来るのを、止める事はできない。私が入水するのを他人は狂乱した結果だと思うだろうが、構いはしない。
南無阿弥陀仏と唱えて、私は船から身を投げ、海の藻と沈んでいった。
この時の念仏のおかげで清経は修羅道の苦しみから救われ、成仏が出来るのでした

<十一期生 K.A>




仕舞・敦盛キリ


 かつて源氏の武将であった熊谷直実は、出家して法名を蓮生と名乗った。彼は一の谷の戦で討ち取った平家の武将、平敦盛の菩提を弔うために、須磨の浦を訪れる。するとなにやら懐かしい笛の音が聞こえ、草刈の若者たちがやってきた。白楽天の詩の「樵歌牧笛《しょうかぼくてき》」などを話題に言葉を交わしたが、草刈の者の一人が蓮生に十念(南無阿弥陀仏を十回唱えること)を授けてほしいと頼む。蓮生が理由を尋ねると、男は敦盛に縁のある者だという。敦盛の名に心動かされた蓮生が、毎夜経を唱えていると、草刈りの男が再び現れる。「あなたが弔っている相手は私だ。」、男は謎めいた言葉を残して姿を消す。
 蓮生が夜もすがら念仏を唱えていると、萌葱縅(もえぎおどし)の鎧に黄金の太刀を身につけた若武者が現れる。それはまさしく蓮生がかつてこの場所で打ち取った平敦盛その人の亡霊である。敦盛は、成仏できぬ己への懺悔に最後の戦いの物語を始める。栄華を極めた平家が都を落ち、一門は散り散りとなり、須磨の浦一の谷で陣を構えることになった。敦盛は陣中で笛を吹き、皆で今様を謡って舞い遊んだことを思い出す。
やがて敦盛は自らの最期に思いを巡らす。味方に取り残されて茫然としている所に、熊谷直実と名乗る武者に呼び止められ一騎打ちとなる。斬り合いの後、馬から落ちて取っ組み合いとなるが、あえなく熊谷に首を討たれた。語る内に敦盛の心の中で無念の思いが甦ってくるが、直実が己を弔ってくれることに心が鎮まり、恨みを捨てて去っていく。


<十三期生 H.I>




仕舞・鞍馬天狗


  鞍馬山の寺の僧が、大勢の稚児を連れて花見をしていた。舞を披露したりなどして思い思いに楽しんでいたのだが、そこに山伏が現れ、僧たちを全く無視して陣取ってしまう。僧たちは興ざめして早々に引き揚げてしまったが、ただ一人、ある稚児だけが立ち去らずに残った。しかもこの稚児、あろうことか親しげに山伏に話しかけてゆく。
この稚児こそ後に源義経となる子供、牛若であった。出身が源氏であるが為に、平氏の稚児たちから除け者にされているのである。これに同情した山伏は、牛若を連れて山々の桜を見て歩く。やがて山伏は牛若に、自分の正体はこの山の大天狗だと明かし、明日の再会を約束した後に姿を消した。
翌日牛若が長刀を手に待っていると、昨日の大天狗が日本中の天狗を引き連れて現れる。この大天狗は、中国の故事を引用した後、牛若に兵法を授ける。この故事とは、漢の張良が黄石公の靴を拾い、手ずからこれを履かせて兵法の教えを請うたというものである。そして牛若に兵法の教授を終えた大天狗は、時が来れば平家を西海に下すことが出来るだろうと言い残し、去ろうとする。牛若は大天狗を引き留めようと袂に縋り付くが、大天狗はそれを払いのけた。しかし大天狗も牛若と別れるのは名残惜しく、これからも傍で牛若を守護しようと誓い残し、鞍馬の山に消えて行った。

<十三期生 Y.K>



素謡・土蜘蛛


 大江山の鬼退治などでその名も知れた男、源頼光の私邸が前半の舞台である。この頼光、今は原因不明の病に伏せっていた。侍女の胡蝶が薬を持って帰ってくるが、頼光の具合は一向に良くはなっていないらしい。治療によって治ることもあるでしょうと、胡蝶に励まされた頼光が床についていると、夜中に一人、いかにも怪しそうな僧が現れる。その僧は頼光に、今の体の状態はいかがかと問いかけた。頼光は、怪しいやつが現れたと気力を振り絞り立ち上がる。そんな頼光をあざ笑うかのように、僧はその恐ろしい姿を垣間見せた。この僧の正体、とても大きな蜘蛛であるらしい。蜘蛛の糸を投げかけられ、頼光は枕元にあった愛刀膝丸にてそれを防ぎ戦いとなるが、やがてその蜘蛛は姿を消してしまう。
騒ぎを聞きつけて、頼光の元へ獨武者(ひとりむしゃ)が駆け込んでくる。頼光は真っ先に駆けつけた事を褒め、獨武者に先程起こった事の顛末を聞かせた。するとこの獨武者、目ざとく血の跡を見つけ、これを辿ってその化け物を退治しに行きましょうと言う。頼光はそれを許可し、獨武者を送り出す。
 その血の跡は、とある古い塚の中に途切れていた。獨武者とその仲間たちは、塚の中にいるだろう化け物に向かい名乗りをあげ、その塚を崩しにかかる。隠れているところを襲われた化け物は、やがて姿を現しこう言った。お前たちは知らないだろうが、私はその昔葛城山に住んでいた土蜘蛛の精である、と。この土蜘蛛、また悪さをしてやろうと頼光を襲ったはいいが、却って退治されそうになったので一旦退いたらしい。天皇の御所がある葛城山に住んでいるというのに、その御世を荒そうとするとはなんたることか。獨武者と仲間たちはそう言い、土蜘蛛を退治にかかる。土蜘蛛も糸を投げかけ混戦の態を擁すが、やがて獨武者たちが土蜘蛛を取り囲み、その首級を挙げることに成功した。


<十三期生 Y.K>




コラム  〜在原業平という男〜


 「杜若」は平安時代前期の歌物語「伊勢物語」典拠とした演目です。「杜若」の他にも「井筒」「雲林院」「小塩」「隅田川」などが「伊勢物語」から題材を得ています。
『伊勢物語』はある男の一生を、和歌とそれに付随する物語によって描いた歌物語です。主人公は作中ではただ「男」とだけ呼ばれ、名を呼ばれることはありません。しかし、採録されている歌や物語の内容などから、主人公は在原業平であると古くからみなされています。では、在原業平とはどのような人物であったのでしょうか。
 在原業平(825〜880)は、平城天皇の第一皇子阿保親王を父、桓武天皇の皇女伊都内親王を母として誕生しました。業平が生まれた翌年に臣籍降下して、業平は兄弟と共に在原氏を名乗ります。従五位下右近衛権中将に任官されたので、別称を「在五の中将」とも言い、『伊勢物語」も『在五の中将日記』や『在五が物語』と呼ばれることがありました。業平は歌人としても有名で、『古今和歌集』の三十首をはじめ、勅撰の和歌集に計八十六首の歌が入首されています。また、六歌仙にも名を連ねています。
 業平は恋多き男として『伊勢物語』でも様々な女性遍歴が語られていますが、相手が天皇の后や伊勢神宮の斎宮であったりと、身分違いの禁忌の恋が目立ちます。「杜若」では、実は業平は歌舞の菩薩の化身であり、彼が生前に行った恋愛も女性達を救済するためのものであった、ということになっています。「色好み」の男、業平の人物像を存分に生かした、能ならではの大胆な設定であるといえるでしょう。

<十三期生 H.I>