2004年3月13日(土) 浦田定期能 素謡「神歌付竹生島」 能楽「千手」「国栖」ほか |
千手(せんじゅ) シテ:千手 ツレ:平重衡 ワキ:狩野介宗茂 平家と源氏が争いあった時代のお話です。 源頼朝の家臣・狩野介宗茂が雨の日に平重衡の許を訪れます。平清盛の五男である重衡は平家一門の内でもことさら武勇に優れた人物として有名です。そんな彼も時の定めには勝てず、一の谷の合戦で捕えられました。しかし頼朝は、敵ながらその重衡の器量を惜しみ身柄を狩野介に預け、身の回りの世話のために手越宿の長の娘・千手を遣わすなどして丁重に扱っています。その狩野介はこれから重衡の無聊を慰めに酒を携えていくところです。 千手も琴と琵琶を携えて重衡の元へとやってきました。 あれほど栄耀栄華を誇っていた人が今や囚われの身とは、浮世は儚いものです。こんなことにならなければ千手にとっては雲の上の存在で知ることすらなかったであろう平家の御曹司・重衡。その運命の転変を思うと千手の心は乱れ、痛みます。ちょうど、そぼ降る今日の空模様のように。 戸を押し開けた千手は重衡が焚き込めている香のかおりに気付きます。さすがに都人です。その雅で洗練された様に千手は気後れしてしまうほどです。しかし真の雅とは、都人の情けある奥深い心をこそいうのでしょう。重衡と出逢ってから千手はそう思うようになりました。春に咲く花、秋に色づく紅葉は確かに美しいけれど、本当に思い出に残るのはこういう心なのだ、と。 「昨日それとなく言っておいた出家のことだがどうなっただろうか」 重衡は千手を通して頼朝に出家の望みを告げていました。しかし、返事は思わしくないものでした。何しろ重衡は朝敵の身であり、頼朝とて勝手に裁決はできないのです。千手が言葉を尽くしても聞き入れられることはありませんでした。 重衡は、遥か遠国の鎌倉で生き恥をさらしていることを悔しく思います。これはまさしく前世の報い。しかも、父・清盛の命とはいえ東大寺・興福寺に火をかけ廬遮那仏もろとも大仏殿を焼き、多くの人命を奪ったことは現世で償わざるを得ない罪なのです。前世の罪業より、そのことを重衡は恥じます。 よくあること、と重衡を慰める千手。しかし、移り変わる身の上に嘆きはとまりません。この世は憂きもの。都からここまでの道のりも一際わびしく思い出されます。そのときに通った蜘蛛手にかかる八橋のように心を乱す重衡。千手の心遣いが心に染みます。狩野介は重衡に酒を勧め、千手には歌を朗詠するよういいます。 「羅綺の重衣たる 情なきことを機婦に妬む 管弦の長曲に在る おへざることを伶人に怒る」 (舞姫にはその薄手の舞装束さえも重く、こうも重く織った機織女を恨みます。 管弦の長曲がいつ果てるともなく続くと、終わらせない楽人に腹をたてます。) 北野天神・菅原道真公の御作です。道真公は、この詩を朗詠する人を守ろう、と誓願をお立てになったといいます。しかし重衡にはもう今生の望みはないのです。重衡は来世での往生を約束してくれる歌を聞かせて欲しい、といいます。 「十悪といふともなほ引摂す 疾風の雲霧を披くよりも甚し 一念といふとも必らず感応す これを巨海の涓露を納るるに喩ふ」 (十悪五逆の罪人といえども阿弥陀如来は浄土へお導き下さる。それは、疾風が雲や霧を吹き払うよりも明瞭なこと。 また、一度でも阿弥陀如来の御名を念ずれば感応して下さる。それは、大海が一滴の露を受け入れるようなもの。) さて、この重衡は平清盛の末子でありますが、兄弟にも一門にも並ぶもののない器量優れた者で、父母の寵愛は限りがありませんでした。しかし、時は移り平家の運はことごとく尽き果て、武運拙く生田川の戦いで捕らわれの身となったのです。生け捕られた魚のように川に沈むこともできず思わぬ形で都入りすることとなりました。 真にこの浮世には定めがありません。奈良の僧兵の手に渡ればすぐにも命果てたのでしょうが、頼朝の手に渡り鎌倉へと護送されました。話に聞いていた八橋を通り、雲居の都をまたいつか見ることがあろうか、と思いつつ三河や遠江、足柄、箱根をうち過ぎて鎌倉へ入りました。憂いに沈むばかりかと思っていましたが次第に千手に慣れてくると心も通い合うようになりました。 この雨音は虞美人の流す涙の音のようだ……それとも千手の涙なのか…… 「燈暗うして数行虞氏が涙 夜深けぬれば四面楚歌の声」 (暗い灯火のなか、虞氏の頬を幾筋かの涙がつたいます。 夜が更けると、城の四周から楚の歌が聞こえてきます。) その歌声の聞こえる中にも虞美人は舞の袖を返しました。袖の思いに濡れることは千手とて同じ。虞美人の舞姿が雪を廻らすかのごとく美しく、その雪が枯れ枝にかかって花を咲かせるかのように見えるのならこの千手も、千手観音の御名にかけて枯れ枝に花を咲かせる舞を舞いましょう……決して、忘れはしません…… 「一樹のかげにやどり一河の流れをくむもこれ先世の宿縁なり」 (一つ木の下で雨を避け、一つの川の水を汲み喉を潤す。これも前世からの縁なのですね……) 重衡は興に乗って千手の携えてきた琵琶を引き寄せ、千手の弾く琴の音に合わせて弾き始めました。松の枝々を通い来る風に琴と琵琶の音が乗り、二人の心も通い合います。 明けぬ夜はありません。酒宴ももう終わりです。勅により都へ護送される重衡を連れに迎えが来ました。千手は涙を堪えかねつつ立ちあがります。こんなに辛い思いをするならいっそ出逢わなければよかった……引き裂かれる二人。すれ違う袖と袖。それぞれの思いを残して後朝の別れの時は訪れるのでした。
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国栖(くず) シテ:前・漁翁/後・蔵王権現 ツレ:前・老嫗/後・天女 子方:王 ワキ:侍臣 ワキツレ:輿舁 アイ:追手ノ兵 身分の高そうなお方が輿に乗ってやってきました。天照大神の流れすなわち天皇家の方らしいのですがよんどころない事情で都を追われているようです。逃れてきた先はここ、吉野川の上流です。ひとまずこのあたりで休憩なさるようです。 「おい、婆さんや、あれを見なさい」 釣りをしていたらしい地元の老夫婦が舟に乗って帰ってきました。二人は、家の上空あたりにたなびく紫色の雲を見つけます。ただならぬ気配です。古来より紫雲は天子の御座所に立つといいます。もしかしたらそのような貴人が家に居るのかもしれない、と二人は棹差す手を早め、家へと急ぎます。 「まあ、これはいったい……」 家へ帰ってみると、やはり冠直衣姿の人がおりました。霜露に濡れて萎れたりとはいえ、その身分の高さは疑いようもありません。侍臣は近親者に襲われたためここまで落ち延びてきたこと、匿ってほしいことを話します。 ここ二、三日食事をしていないというその貴人に、翁と嫗は食事をお出しします。ちょうど嫗の摘んだばかりの根芹、翁が釣ったばかりの国栖魚(鮎)がありました。晋の張翰が食べて故郷を思い出したというジュンサイの吸い物・スズキ料理もこれに勝ろうはずもありません。 二人の心づくしのもてなしに感謝した貴人は、料理の残りを翁に賜ります。翁はその国栖魚を裏返してその活きの良さに驚き、吉野川に放してみよう、といいます。焼かれて、しかもその半身を食べられた鮎が蘇るなどということがあるものでしょうか? 訝しがる嫗に翁は神功皇后の先例を説きます。戦況を占い、うまくいくなら魚よかかれと念じて釣り針を投げ入れたところ鮎がかかったことがあったのです。この貴人が再び都へ返れるならばこの鮎も生き返るはず、と翁は鮎を吉野川に放しました。するとどうしたことでしょう、岩場を流れ行く水にのって鮎は生き生きと泳ぎ始めたではありませんか。 さて。落ち着いてもいられません。どうやら追手がこの家へ近づいてきた模様です。それを察した翁と嫗は舟を担いできて伏せて置き、その中へ貴人を隠しました。 追手が来て何やらを捜している、といいます。 「清みばらえ? 身を清めたいのならばこの川下へ行くがよかろう」 「浄見原という人を捜しているのか? そのような名は聞いたことがない。もっとよそを探すがよかろう」 やんごとなきお方は浄見原天皇こと大海人皇子、後の天武天皇だったのです。実の兄である天智天皇の後を継ぐはずでしたが、息子・大友皇子に継がせようとする天智天皇の計略に気づき、この吉野まで逃げてきていたのです。 追手は舟に疑いの目を向けますが、翁はただ舟を干しているのだと言います。しかしなおも食い下がられ舟を改めさせろといわれるに到って翁は怒ります。舟を捜されるとは漁夫にとっては家捜しされるも同然であると。優しく物腰の穏やかな翁のいったいどこにこのような気迫が潜んでいたのでしょうか。翁に気圧され、追手は帰っていきます。 苦境は脱しました。君は臣を育むといいますがこのように臣に反対に助けられる有様の身の上を浄見原天皇は嘆きます。先行きは不透明ですが、命を助けられた浄見原天皇は、老夫婦に感謝して都に還ることあらば必ず恩を返すと約束します。老夫婦はそのもったいないお言葉に感涙にむせびます。 夜も更け、あたりは静まり返ってきました。このような何もないあばら家でどのようにしておもてなしをすればよいかと老夫婦は考えます。ここは月雪の美しい吉野山であるからにはそれに相応しい歌舞や音曲でお慰めしてはどうでしょうか。 峰の松を通り過ぎる風に乗って音楽が聞こえてきました。と思う間に、天女の来臨です。妙なる音楽に合わせて天女が舞い始め、そしていつしか老夫婦の姿は消えていました。 音楽と天女の舞に惹かれて他の神々も来臨してきました。そして、この王を蔵した吉野山に威風辺りを払う蔵王権現も現れました。このようなありがたい神々の来迎は、天皇が代替わりし、これから始まる浄見原天皇の御代の恵みがあらたかであることのなによりの証拠でしょう。
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